ロシア・バレエ団(読み)ろしあばれえだん(英語表記)Ballets Russes

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシア・バレエ団」の意味・わかりやすい解説

ロシア・バレエ団
ろしあばれえだん
Ballets Russes

バレエ・リュス、ディアギレフ・ロシア・バレエ団Ballets Russes de Diaghilevともいう。1909年にロシアの貴族ディアギレフがペテルブルグのマリンスキー劇場バレエ団(キーロフ・バレエ団)の精鋭を集めて創立したバレエ団で、おもにパリ、ロンドンを中心にヨーロッパで活動し、1929年の彼の死まで20年間続いた。その後身としてモンテカルロ・ロシア・バレエ団(バレエ・リュス・ド・モンテカルロ)(1932~1962)、オリジナル・バレエ・リュス(1939~1952)などが組織されたが、広義にはこれらも含まれる。

 1909年5月にパリのシャトレ座で旗揚げ公演を行ったが、ストラビンスキープロコフィエフらの作曲家、振付師フォーキン、舞踊手としてニジンスキーパブロワカルサビナらがいた。初期の特色はロシア的野性によるプリミティビズムとオリエンタリズムにあった。『春の祭典』はストラビンスキーのポリリズムを特徴とした作品で、スラブの土俗的な宗教儀式を主題にしたものであり、『プロビツィアン・ダンス(ダッタン人の踊り)』『シェヘラザード』もこの系列にある。バクスト、ブノワAlexandre Benois(1870―1960)、レーリッヒNikolai Konstantinovich Rerikh(1874―1947)らの力感あふれる原色の装置で、『ペトルーシュカ』『バラの精』『牧神の午後』などの舞台を飾った。

 後期には、舞踊家としてマシーンリファールダニロワらのロシア人以外に、イギリス人のドーリン、美術家としてピカソマチスローランサン、音楽家としてサティら外国人を登用し、国際的、前衛的な作品を上演することが多くなった。『パラード』『牝鹿(めじか)』『青汽車』などがその代表的な作品である。このバレエ団から、パリ・オペラ座のリファール、ロイヤル・バレエ団のド・バロアニューヨーク・シティ・バレエ団のバランチンらが出るなど、20世紀のモダン・バレエに多大な影響を与えた。

[市川 雅]

『リチャード・バックル著、鈴木晶訳『ディアギレフ――ロシア・バレエ団とその時代』(1984・リブロポート)』

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