ウルビノ(その他表記)Urbino

改訂新版 世界大百科事典 「ウルビノ」の意味・わかりやすい解説

ウルビノ
Urbino

イタリア中部,マルケ州の都市。人口1万5410(1990)。標高485mの丘の上にある,城壁に囲まれた古い町。農業のほかに,煉瓦,刃物,錬鉄細工,家具,マジョリカマヨリカ)陶器の製造など,伝統的な手工業が発達している。また,ルネサンス期のたたずまいを残す家並み威容を誇る宮殿パラッツォ・ドゥカーレ(マルケ国立美術館が置かれる),画家ラファエロ生家などがあり,ウルビノ大学は1506年に創立された長い伝統を誇っている。書物装丁やイラストを専門に教える国立芸術学院があるのはイタリアでもここだけである。

 ウルビノは,ウンブリア人が建設した町で,前3世紀にローマに征服された。538年,東ローマ帝国のベリサリオスにより征服されたが,カロリング朝の治政下,教会に寄進された。自由都市時代を経て,1213年,地方の豪族モンテフェルトロMontefeltro家の統治をうける。同家は1443年に公爵称号を得,ウルビノは公爵家の支配の下で,当時のヨーロッパ諸都市の中でも,最も華美なルネサンス文化の中心地として繁栄した。そして勇猛な傭兵隊長であり,知識人や芸術家擁護者であったフェデリコ・ダ・モンテフェルトロ治世(1444-82)に町は最盛期を迎えた。16世紀の初頭市政デラ・ロベレ家の手にゆだねられる。1631年教皇領となったが,それ以降は市民の芸術活動も衰退一途をたどった。1797年,町はナポレオン軍に占領され,1860年,イタリア王国に編入された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウルビノ」の意味・わかりやすい解説

ウルビノ
Urbino

イタリア中部,マルケ州ペザロエウルビノ県の山中にある町。アンコナ西北西約 70kmに位置する。 12世紀にモンテフェルトロ家領となり,特に 15世紀のフェデリーコの時代には,イタリア・ルネサンスの中心の一つであるウルビノ公国の首都として全盛を誇った。宮殿 (国立美術館) には,ウルビノで生まれたラファエロや,ティツィアーノの作品などがある。 1506年に大学設立。 1626年に教皇領。 1860年にイタリア王国に編入された。ローマ時代に築かれ,19世紀に再建された旧市街は,1998年世界遺産の文化遺産に登録。現在の住居地域は囲壁の外に延び,古代の町とは明らかに違っている。主要道路から離れており,観光と大学の町として知られる。人口1万 5125 (1991推計) 。

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百科事典マイペディア 「ウルビノ」の意味・わかりやすい解説

ウルビノ

イタリアのマルケ州にある歴史都市。15世紀後半から16世紀にかけて,フェデリコ・ダ・モンテフェルトロ公は町を発展させた。神の建築と呼ばれるドゥカーレ宮殿を建設し,多くの芸術家たちが招かれて華やかな宮廷生活が繰り広げられた。この宮殿は要塞の機能をもたない純粋な宮殿とされている。1998年世界文化遺産に登録。
→関連項目ラファエロ

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