日本大百科全書(ニッポニカ) 「アシュキン」の意味・わかりやすい解説
アシュキン
あしゅきん
Arthur Ashkin
(1922―2020)
アメリカの物理学者。ニューヨーク市ブルックリン生まれ。1947年コロンビア大学卒業。在学していた1942~1945年、第二次世界大戦下の米軍の要請を受け、コロンビア放射線研究所(Columbia Radiation lab.)で軍事レーダー用のマグネトロン開発にかかわった。第二次世界大戦後、マンハッタン計画に携わった核物理学者の兄、ジュリアス・アシュキンJulius Ashkin(1920―1982)のアドバイスで、コーネル大学に移り、1952年同大学で博士号を取得。同年、大学時代に指導を受けていた核物理学者のシドニー・ミルマンSidney Millman(1904―2006)のいるベル研究所に就職、初期にはマイクロ波、その後レーザー研究一筋に取り組んだ。1992年ベル研究所を退職したが、その後も同研究所で活動を続けた。
1970年代、アシュキンはレーザー光を透明な微小球に照射して、球を動かす研究に取り組んだ。微小球の直径を0.59~2.68ミクロンのサイズにすると、レーザー光の放射圧(光子による圧力)によって、レーザー光に沿って微小球が動くことを確認。さらに微小球の素材を選ぶことで、水に浮かべた球を、レーザー光の電磁気学的な力(勾配(こうばい)力)によって強度が高い中心軸に集めたり、重力に逆らって持ち上げたりすることを可能にした。1987年に、アシュキンらはレーザー光のビームをレンズで集光すると、光の進行方向と逆方向に勾配力が生じ、押す力とつりあって微小球をとらえる(固定する)ことができることをつきとめた。この発見は、物体を光で捕捉(ほそく)して動かす「光ピンセット」の開発につながった。アシュキンはその後、光ピンセットを使って、細胞、ウイルス、細菌などの生体観察の研究に取り組んだ。その代表が、生体内で重要な役割を果たす分子モーターの研究である。モータータンパク質の一つであるキネシンに微小球をつけ、光ピンセットで動かした。これによって、細胞骨格の微小管に沿って動くキネシン1分子に働く力を計測することが可能になった。
アシュキンの開発を機に、光ピンセットは進化を遂げ、方向転換、切断なども容易になり、生体を傷つけることなく個々のタンパク質、DNA、分子モーターを解明することに大きく貢献した。最近では、同時に、大量の光ピンセットを使って立体的な画像を描き出す光ホログラフィーも開発された。また、健康な赤血球とマラリアウイルスに感染した赤血球をより分け、赤血球を好むマラリア原虫(マラリアの病原体)による病気の治療などにも応用されている。
ちなみに、ベル研究所で同僚であったスティーブン・チューは、この光ピンセットを使って、原子を空中に固定して極低温に冷やすレーザー冷却法開発の業績で、1997年にノーベル物理学賞を受賞している。
1996年アメリカ科学アカデミー選出、1998年フレデリック・アイブズメダル、2004年ハーベイ賞を受賞し、2018年には「光ピンセットの開発と生体システムへの応用」の業績でノーベル物理学賞を受賞した。「超高出力、超短パルスレーザーを生み出す技術の開発」に貢献したフランスのエコール・ポリテクニク(理工科大学校)のジェラール・ムル、カナダのウォータールー大学のドナ・ストリックランドとの同時受賞。なお、96歳での受賞は史上最高齢であった。
[玉村 治 2019年3月20日]