社会的規範の動揺、弛緩(しかん)、崩壊などによって生じる混沌(こんとん)状態、あるいは成員の欲求や行為の無規制状態。語源的には、「無法律状態」などを意味するギリシア語のνομοςに由来するといわれる。中世には廃語になっていたが、フランスの哲学者ギュイヨーによって用いられ、さらに社会学者デュルケームによって社会学上の用語として再生された。彼は、『社会分業論』(1893)では分業の異常を、『自殺論』(1897)では近代社会に特有の自殺の型をそれぞれ記述するのにこの概念を用いている。以後、20世紀の社会学者や社会心理学者の注目するところとなり、社会解体、価値の不統合、疎外などさまざまな現象を分析し、記述する際にしばしば依拠される概念となっている。
デュルケームによれば、社会的分業が正常に進めば、社会の諸機能の相互依存関係が強まり、有機的な連帯が形成されると考えられているが、現実の近代西欧社会では、無規制的な産業化のために諸機能の相互依存よりも不統合が、有機的連帯よりも弱肉強食の対立・抗争が、むしろ支配的になっている。『社会分業論』では、このような状態がアノミーとして記述されている。他方またアノミーは、個々の人間の行為や意識のレベルに現象してくる病理でもある。デュルケームは『自殺論』においては、急速な産業化による価値規範体系の攪乱(かくらん)が個々人の欲求の無規制を引き起こすという現象に目を向け、これを自殺の発生の社会的条件の一つとして重視した。この型の自殺はアノミー的自殺と名づけられている。
このアノミーの概念は、20世紀社会における資本主義の矛盾の顕在化、ファシズム化、大衆社会化などの経験が積み重ねられるなかで、その重要性が再認識され、意味も拡大されるようになった。S・デ・グレージアは、一つの社会において信念体系の陥っている危機状況のタイプに応じて、2種のアノミーを区別している。すなわち、複数の信念体系が単に対立・葛藤(かっとう)の状態にある場合を単純アノミーsimple anomie、支配的な信念体系が一挙に崩壊することによって生じる指導原理の全般的な喪失を尖鋭(せんえい)アノミーacute anomieと名づけ、それぞれの政治社会学的な意味合いに注目した。
またアメリカのR・K・マートンは、一つの社会における文化的目標と制度的手段の不統合によって生じる行動規範の衰耗(すいこう)をアノミーと規定し、そのような場合、成員の間に逸脱行動が生じやすいとした。たとえば、現代アメリカ社会では、文化的目標として「金銭的成功」という価値が称揚される反面、制度的手段の遵守が同じようには強調されず、その結果しばしば逸脱行動が生じており、とくに下層中産階級にはこの逸脱行動を促す圧力が働いているとされる。マートンのこの考察は、現代社会の文化・制度状況とかかわらせて逸脱行動の類型論を導いているという点で、アノミー論に新たな視野を切り開いている。そのほかマッキーバー、リースマン、スロール、デュビニヨーら、アノミー概念の独自の展開を試みている社会学者は少なくない。
なお近年では、急速な産業化のなかに置かれている開発途上社会における価値の葛藤などを分析、記述する概念としても、アノミー概念の有効性が認められている。
[宮島 喬]
『E・デュルケーム著、宮島喬訳『自殺論』(『世界の名著 47』1968・中央公論社・所収)』▽『R・K・マートン著、森東吾他訳『社会理論と社会構造』(1961・みすず書房)』▽『S・デ・グレージア著、佐藤智雄・池田昭訳『疎外と連帯』(1966・勁草書房)』
社会規範の動揺や崩壊などによって生じる混沌状態,あるいはその結果である社会の成員の欲求や行為の無規制状態をいう。フランスの社会学者デュルケームによって用いられるようになった社会学上の概念。語源的には,〈無法律状態〉などを意味するギリシア語のanomosに由来するといわれるが,デュルケームが《社会分業論》(1893)および《自殺論》(1897)でこの概念を用いて以来注目され,今世紀の社会学者によって社会解体,価値の不統合,疎外などさまざまな現象を分析し記述する際にさかんに用いられるようになった。デュルケームによれば,社会の分業が正常にすすめば,社会の諸機能の相互依存がつよまり,有機的な連帯が生まれると考えられるが,現実の近代西欧社会では無規制的な産業化のために諸機能の不統合が生じ,連帯よりも弱肉強食の対立,抗争がむしろ支配的となっている。《社会分業論》ではこのような状態がアノミーとして記述されている。他方,アノミーは個々人の意識や行為のレベルに現れてくる病理でもある。デュルケームは《自殺論》では,急速な産業化による社会の規範体系の動揺が,個々人の欲求の無際限の肥大とそれによる苦痛を惹起(じやつき)することに目をむけ,これを自殺の発生の一条件として重視した。この型の自殺はアノミー的自殺と名づけられている。
デュルケーム以後,資本主義化,都市化,大衆化などが大規模にすすむアメリカで,この概念が注目を浴びるようになり,G.E.メーヨー,R.M.マッキーバー,D.リースマン,R.K.マートンらの社会学者を通じて独自の展開をみている。とくにマートンの考察は著名で,彼は,ひとつの社会における文化的目標と制度的手段の不統合によって生じる規範の衰耗をアノミーと規定し,そのような場合,成員の間に逸脱行動が生じやすいとした。たとえばアメリカ社会では,〈金銭的成功〉という文化的目標が大いに強調される反面,制度的手段の遵守があまり強調されず,その結果しばしば逸脱行動が生じており,とくに社会の下層の者にこの行動をうながす圧力がはたらいているとする。マートンのアノミー論は,現代の社会構造と逸脱行動の発生との関連を明らかにした点で,あらたな視野を切り開いている。他方,これとは別の観点から,S.デ・グレージアは,一社会において信念体系の陥っている危機の度合に応じて,2種のアノミーを区別している。すなわち,複数の信念体系が単に葛藤の状態にある場合を〈単純アノミー〉,支配的な信念体系の崩壊による指導原理の全般的な喪失を〈尖鋭アノミー〉と名づけ,それぞれの政治社会学的意味合いに注目した。現代日本でも,大衆社会化のなかでの個人の疎外感や,経済成長と消費社会化のもとでの欲求の無規制化をアノミー的現象として考察する試みが行われてきた。
執筆者:宮島 喬
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…このように分業の発達と社会的連帯の型の変遷との関連を考察したところに,本書の意義がある。しかしデュルケームは現実の西欧社会のなかに〈無規制的分業〉という異常形態をも看取しており,アノミー(無規制)問題の発見を本書の意義の第一にあげる見解もある。【宮島 喬】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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