アラブの春(読み)アラブのはる(英語表記)Arab Spring

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アラブの春
Arab Spring
アラブのはる

2010年末のチュニジアで勃発した体制権力への異議申し立て運動(いわゆるジャスミン革命)に端を発し,広くアラブ世界に伝播した反独裁政権運動。チュニジア人露天商が焼身自殺という手段で行なった路上抗議運動が,またたく間に近隣のアラブ諸国に飛び火し,各地で大規模な大衆抗議運動となった。その結果 2011年1月にチュニジアのベンアリ政権,2月にエジプトムバラク政権,8月にリビアカダフィ政権の長期独裁支配が瓦解した。動乱は以降も収束せず,2012年にシリアは事実上の内戦状態に陥り,イエメンバーレーンでも社会秩序の動揺が続いた。このほか,ヨルダンモロッコサウジアラビアクウェート西サハラなどでも大衆の街頭運動と官憲との衝突が見られた。おしなべて似たような構造をもつ権威主義的体制への不満が,主として都市部の中間層が掲げる民主化・自由化への要求と結びつき,またフェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアの浸透が新たなかたちでの大衆の動員につながったこともあって,アラビア語を共通の母語とするアラブ世界にほぼ同時的な動乱の連鎖が起こったと考えられる。しかし,各国の政治・社会改革要求の内容や方向は必ずしも一様ではなく,独裁体制を打倒したチュニジア,エジプト,リビアも,その後すみやかに新体制に移行できたわけではなかった。「アラブの春」の呼称は「プラハの春」など東ヨーロッパの民主化運動にならったものであるが,当時の西ヨーロッパをモデルとしたプラハの春とは異なりイスラム的価値観を抱える中東で,どこまで民主化が進むかに注目が集まった。

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知恵蔵の解説

アラブの春

2010年末から11年にかけて、北アフリカ、中東諸国で起こった一連の民主化運動。1968年にチェコスロバキア(当時)で起こった「プラハの春」にならった命名とみられる。
発端は、チュニジアで起こったジャスミン革命。2010年12月17日、中部の都市シディブジドで、青果商の青年(モハメド・ブアジジ)が、当局の度重なる取り締まりに憤り、焼身自殺した。これに怒った市民の抗議デモを衛星放送アル・ジャジーラやネットニュースが報道すると、国民の不満が爆発。若者や知識層を中心とする民衆がソーシャル・ネットワーク・サービスを使って情報交換し、ベンアリ政権打倒の全国デモへと拡大した。翌11年1月14日、ベンアリ大統領はサウジアラビアに亡命し、23年間続いた長期独裁政権は終わりを告げた。
このジャスミン革命の動きは、瞬く間にエジプトへ波及した。Facebookで結びつく市民グループ「4月6日運動」やGoogle幹部のブロガーであるワエル・ゴニム氏らが、ムバラク政権打倒のデモを呼びかけると、20万人を超える民衆が首都カイロの中心部タハリール広場を占拠した。当初、政府の命令を受けた警官隊がデモ弾圧にかかっていたが、やがて一部がデモに合流し、また軍も民主化に連帯する意思を示した。こうして、警察と軍による強権支配を続けてきたムバラク大統領は後ろ盾を失い、同年2月11日、最初の反体制デモからわずか20日足らずで退陣を発表、政権を軍最高評議会に委譲した。更に、リビア、シリア、バーレーン、イエメンでも、長期政権に対する民衆の抗議デモが頻発。武力衝突から内戦状態になったリビアでは、NATO軍の介入によって、同年8月、40年以上も続いたカダフィ軍事政権が崩壊した。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2011年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

アラブの春

チュニジアで2010年末、警察に抗議して焼身自殺した青年への同情を発端に、中東各国に波及した民主化運動。チュニジア、エジプト、リビアでは長期独裁政権が倒れた。一方、湾岸諸国では体制が存続し、シリアでは政府軍による弾圧が長期化している。

(2012-02-11 朝日新聞 朝刊 東特集M)

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デジタル大辞泉の解説

アラブ‐の‐はる【アラブの春】

2010年12月にチュニジアで起きた民主化運動(ジャスミン革命)を発端として、北アフリカ・中東のアラブ諸国に波及した民主化要求運動。2011年1月にはエジプトで大規模なデモが発生し、約30年にわたり長期政権を維持してきたムバラク大統領が辞任に追い込まれた。また、同年2月にはリビアで反政府デモが起こり全土に波及。武力衝突に発展しカダフィ政権が崩壊した。他にも、アルジェリアイエメンサウジアラビアヨルダンシリアなど多数のアラブ諸国で政府に対するデモや抗議活動が連鎖的に発生した。

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百科事典マイペディアの解説

アラブの春【アラブのはる】

2010年12月チュニジアではじまった民主化を求める運動(ジャスミン革命)を発端として,北アフリカ・中東のアラブ諸国に波及した民主化要求運動を象徴する言葉。2011年1月エジプトのムバーラク長期政権が崩壊,同年2月リビアで反政府デモが起こり内戦に発展,カダフィー政権が倒壊するなど,アルジェリア,イエメン,サウジアラビア,ヨルダン,シリアなど多数の国々で反政府デモや抗議活動が連鎖的,断続的に発生した。いずれも若者たちのソーシャルネットワークが運動の発端で大きな力を発揮したとされている。しかし各国各地域の政治体制の違いや政治勢力間の複雑な関係もあり,さらに,この地域に利害関係を持つ米,仏,英などの介入もあって,政権倒壊後も混乱が続いた。当初から,政治運動としての核を持たず政治的結集点の形成を準備しなかった〈アラブの春〉はひとしなみに純粋な民主化運動と美化できるものではなく,かえって市民に多くの厄災をもたらしているという批判も出されていた。2013年エジプトでモルシ政権が軍部によるクーデターによって崩壊し,再び国軍主導による政権に戻るという事態が生まれたこと,イラクを拠点とするイスラム過激派組織ISが,シリアやリビアで〈アラブの春〉以降急速に勢力を拡大し,2014年6月〈イラク・レバントのイスラム国〉という〈カリフ制国家〉の建国を宣言するまでに成長するのを許したこと等々,この批判が証明されるかたちとなった。
→関連項目アラブ首長国連邦エジプトカルマンテロリズムモルシ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アラブの春
あらぶのはる
Arab Spring

2010年末ごろから中東・北アフリカ地域で本格化した反政府民衆運動。1968年にチェコスロバキアで起きた民主化運動「プラハの春」にならって、「アラブの春」とよばれる。2010年12月にチュニジアで発生した反政府デモを発端に、アラブの大多数の国に大規模抗議デモや反政府集会が伝播(でんぱ)した。23年続いたチュニジアのベンアリ政権が2011年1月に倒れた(ジャスミン革命)のをはじめ、同年2月にエジプトのムバラク政権、同年8月にリビアのカダフィ政権、同年11月にイエメンのサレハAli Abdullah Saleh(1942―2017)政権が倒れるなど、アラブ地域の長期独裁政権が相次ぎ崩壊した。民主化要求を受け入れ、バーレーン、ヨルダン、モロッコでは憲法改正が実現。国民向けの補助金支給、閣僚入れ替え、選挙権拡大、議会権限拡大などの改革を実施した国もある。しかしシリアではアサドBar al-‘Asad(1965― )政権と反政府勢力との内戦が欧米諸国を巻き込んで泥沼化するなど、政情が緊迫している国も多い。
 アラブの春では、高い若年失業率などの経済的格差や独裁政権への不満を背景に、限定的な参政権しか認められてこなかった民衆が運動の原動力になった。衛星放送、携帯電話、フェイスブックやツイッターといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などを通じ、反政府デモや当局の弾圧などの情報が瞬時に国境を越え、多くの国々の民衆に共有されたという特徴もある。アメリカやヨーロッパ諸国は独裁政権の崩壊や民主化を支持したが、シリアのアサド政権に対する国際制裁ではロシアと中国が反対するなど、国際社会の対応は一枚岩ではない。また、エジプトにおいては、ムバラク退陣後に民主選挙で誕生したモルシ政権が軍部のクーデターによって崩壊、その後も混乱が続いており、アラブの春の後退が懸念されている。[編集部]

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