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アルカディウス Arcadius, Flavius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アルカディウス
Arcadius, Flavius

[生]377頃
[没]408
東ローマ皇帝 (在位 383~408) 。テオドシウス1世から帝国の東半分を与えられ,帝国分裂後の東帝国初代皇帝となったが,ルフィヌス,エウトロピラス,アンチミウスらの側近に実権を握られ,外政面ではゴート人の侵入を受けた。

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世界大百科事典 第2版の解説

アルカディウス【Flavius Arcadius】

377‐408
ローマ帝国東帝。在位383‐408年。テオドシウス1世の長子。383年父からアウグストゥス位を授与され,395年父帝の死により帝国東部の支配者となる。しかし,ルフィヌスエウトロピウスアンテミウスなどの廷臣に統治の実権を握られ,また妃エウドクシアにも特に内政面で強い影響力を振るわれて,キュレネのシュネシオスがその《君主政論》(399)で説いたような主体性を欠いていたため,政情は乱れた。【後藤 篤子】

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大辞林 第三版の解説

アルカディウス【Arcadius】

377頃~408) 東ローマ帝国の最初の皇帝(在位395~408)。テオドシウス一世の長子で、弟ホノリウス(Honorius384~423)と帝国を分割統治した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アルカディウス
あるかでぃうす
Flavius Arcadius
(377ころ―408)

ビザンティン帝国皇帝(在位395~408)。383年父帝テオドシウス1世によりアウグストゥス(正帝)の称号を受け、394年にローマ帝国の東部を委託された。翌395年父帝の死後、弟ホノリウスと帝国を分割統治、彼は東ローマの皇帝となった。しかし病弱で政治にほとんど影響力をもたず、実権は妃エウドキシアや側近のルフィヌス、エウトロピウスらの手中にあった。彼らはダキアとマケドニアの帰属をめぐって西ローマ帝国の最高司令官でゲルマン人のスティリコと対立したが、この東西の不和を利用して396年アラリック率いるゲルマン民族の西ゴート人が帝国内に侵入、略奪を行い、一時コンスタンティノープルを占領されるなど、5年にわたり治世が乱れた。[島 創平]

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世界大百科事典内のアルカディウスの言及

【ローマ】より

…392年,フランク人出身ローマ軍司令官アルボガストを後ろ盾に,ウァレンティニアヌス2世(在位375‐392)を除去してローマに蜂起したエウゲニウスの簒奪(在位392‐394)は,テオドシウスによって鎮圧された。
[西ローマ帝国とその滅亡(395‐476)]
 テオドシウスの死(395)後,帝国の東半分をその長男アルカディウス(在位383‐408)が,西半分を次男ホノリウス(在位393‐423)が分治した。この分治の当初は従来しばしば行われた分治と同一性格のもののはずであったが,これ以後の両帝国の政治関係,侵入異民族との異なった関係などのゆえに,両帝国はしだいに独自の道を歩き始める。…

※「アルカディウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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