日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルトマン」の意味・わかりやすい解説
アルトマン(Robert Altman)
あるとまん
Robert Altman
(1925―2006)
アメリカの映画監督。カンザス・シティ生まれ。ロックハースト高校卒業後、マサチューセッツ州レキシントンのウェストワース陸軍士官学校へ入学、20歳で卒業後、ミズーリ大学へ進む。第二次世界大戦時に爆弾投下部隊として従軍した経験をもつ。終戦後の1947年からは、地元カンザス・シティのカルビン社で産業映画を製作しながら脚本を書き、ハリウッド進出の機会をうかがう。自身で監督、脚本、製作を手がけた『不良少年』(1956)で長編劇映画デビュー。翌1957年には、不慮の死を遂げたばかりのスターをめぐるドキュメンタリー作品『ジェイムス・ディーン物語』を監督、高く評価されると同時に、アルフレッド・ヒッチコックの目にとまり、テレビ・シリーズの「ヒッチコック劇場」でのエピソード演出を依頼される。その後も、「ボナンザ」「ルート66」「コンバット」などの多数の人気テレビ・シリーズの演出を手がけた。
『宇宙大征服』(1968)で映画作りに復帰。朝鮮戦争を題材にしながら当時進行中だったベトナム戦争への批判的言及をも孕(はら)んだブラック・コメディ『M★A★S★H』(1970)が、カンヌ国際映画祭パルム・ドール(グランプリ)を受けて、興行的にも大ヒットを記録。1970年代におけるアルトマンの量産体制の足場を築くことになった。
1970年代のアルトマン作品の特徴として、ハリウッド流のジャンル映画への批評的な解体作業の実践があげられる。『ギャンブラー』(1971)では西部劇、『ロング・グッドバイ』(1973)では私立探偵を主人公とする犯罪映画、『ボウイ&キーチ』(1974)では『俺たちに明日はない』(1968。監督アーサー・ペン)風の男女を主人公とするヒロイックな犯罪映画など、それぞれ既存のジャンル映画が、彼独自のアプローチによって再解釈され視覚化された。そのほかにも『ナッシュビル』(1975)や『ウェディング』(1978)では彼のトレードマークである群集劇(一人の主人公を中心にする物語ではなく、数人の登場人物がそれぞれの物語を形作り、やがてそれら複数の物語が一つの大きな流れに合流するような構造をもつ)のスタイルを確立。さらには『ロバート・アルトマンのイメージズ』(1972)や『三人の女』(1977)などで、女性心理に切り込む不気味で夢幻的な映像世界を展開させるなど、この時期のアルトマン作品は多岐にわたるが、アメリカの大衆的なコミック・ヒーローを彼一流の毒気をまぶした実写によって映画化したディズニーの大作『ポパイ』(1980)が不評の嵐にさらされ、興行的にも惨敗、自らの制作会社も破産に至る。
そのため、ハリウッドでの映画作りの道が実質上断たれたアルトマンは、『カムバック・トゥ・ザ・ファイブ・アンド・ダイム、ジミー・ディーン、ジミー・ディーン』(1982)や『ストリーマーズ 若き兵士たちの物語』(1983)、『フール・フォア・ラブ』(1985。サム・シェパード原作・脚本・主演)など舞台劇の映画化で1980年代を費やす。
しかし彼特有の群集劇スタイルで、しかも多くの実際の映画スターをカメオ出演(有名スターがクレジットなしで1シーンだけ出演すること)させながら、ハリウッドの映画産業そのものに対して正面から強烈な皮肉を浴びせる『ザ・プレイヤー』(1992)によって、アルトマンの映画界への逆襲が華々しく開始される。この作品はカンヌ国際映画祭の監督賞などを獲得。引き続き、レイモンド・カーバーRaymond Carver(1939―1988)の短編集の映画化で、3時間を超える壮大な作品となった『ショート・カッツ』(1993)は、ベネチア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)に輝き、反ハリウッドのインディペンデントな映画作家でありつづけながら、映画史に残る優れたアメリカの映画作家としての地位を揺るぎないものとした。その後の作品として、ふたたびオールスター・キャストでファッション界の裏側を暴く群集劇『プレタポルテ』(1994)、大恐慌時代の彼の生まれ故郷を舞台とする『カンザス・シティ』(1996)、熟達した演出ぶりでアカデミー脚本賞やゴールデン・グローブ賞最優秀監督賞に輝いた『ゴスフォード・パーク』(2001)などがある。
[北小路隆志]
資料 監督作品一覧
不良少年 The Delinquents(1956)
ジェイムス・ディーン物語[ジョージ・W・ジョージとの共同監督] The James Dean Story(1957)
宇宙大征服 Countdown(1968)
雨にぬれた舗道 That Cold Day in the Park(1969)
バード★シット Brewster McCloud(1970)
M★A★S★H M*A*S*H(1970)
ギャンブラー McCabe & Mrs. Miller(1971)
ロバート・アルトマンのイメージズ Images(1972)
ロング・グッドバイ The Long Goodbye(1973)
ジャックポット California Split(1974)
ボウイ&キーチ Thieves Like Us(1974)
ナッシュビル Nashville(1975)
ビッグ・アメリカン Buffalo Bill and the Indians, or Sitting Bull's History Lesson(1976)
クィンテット Quintet(1977)
三人の女 3 Women(1977)
ウエディング A Wedding(1978)
パーフェクト・カップル おかしな大恋愛 A Perfect Couple(1979)
ロバート・アルトマンのヘルス HealtH(1980)
ポパイ Popeye(1980)
カムバック・トゥ・ザ・ファイブ・アンド・ダイム、ジミー・ディーン、ジミー・ディーン Come Back to the Five and Dime, Jimmy Dean, Jimmy Dean(1982)
ストリーマーズ 若き兵士たちの物語 Streamers(1983)
突撃!O・Cとスティッグス お笑い黙示録 O.C. and Stiggs(1985)
フール・フォア・ラブ Fool for Love(1985)
ニューヨーカーの青い鳥 Beyond Therapy(1986)
ベースメント Basements(1987)
アリア Aria(1987)
ゴッホ Vincent & Theo(1990)
ザ・プレイヤー The Player(1992)
ショート・カッツ Short Cuts(1993)
プレタポルテ Prêt-à-Porter(1994)
ロバート・アルトマンのジャズ(1996)
カンザス・シティ Kansas City(1996)
相続人 The Gingerbread Man(1997)
クッキー・フォーチュン Cookie's Fortune(1999)
Dr.Tと女たち Dr. T and the Women(2000)
ゴスフォード・パーク Gosford Park(2001)
バレエ・カンパニー The Company(2003)
今宵、フィッツジェラルド劇場で A Prairie Home Companion(2006)
『デヴィッド・プレスキン著、柳下毅一郎訳『インナーヴューズ――映画作家は語る』(1994・大栄出版)』
アルトマン(Sidney Altman)
あるとまん
Sidney Altman
(1939―2022)
アメリカの生物学者。カナダのモントリオールに生まれる。アメリカに渡り、マサチューセッツ工科大学(MIT)で物理学を学び、1960年卒業、コロンビア大学を経て、コロラド大学で専攻を分子生物学に変更し、1967年同大で博士号を取得した。その後、ハーバード大学、ケンブリッジ大学で研究を続け、1971年エール大学の生物学助教授につき、1980年教授に昇格した。1983年同大学学部主任、1985年エール・カレッジ(エール大学の学部課程)学部長となった。なお、1984年にアメリカの市民権を得ている。
大腸菌を用いて細胞内にあるリボ核酸(RNA)の一種、転移RNA(tRNA)前駆体を切断加工(スプライシング)するリボヌクレアーゼPの研究を行った。リボヌクレアーゼPはRNAとタンパク質からなるが、1978年にRNA部分のみが生体触媒として機能し、スプライシングをおこすことを発見した。1982年にT・R・チェックがまったく別の方法で、同様にRNA自体に生体触媒作用があることを発見したことを受けて、さらなる研究を進め、1983年にリボヌクレアーゼPのRNAが試験管内でtRNA前駆体を正しい位置でスプライシングすることを証明した。この業績によって、1989年にノーベル化学賞をチェックとともに受賞した。
[編集部 2018年6月19日]
アルトマン(Hans Carl Artmann)
あるとまん
Hans Carl Artmann
(1921―2000)
オーストリアの詩人、小説家。ウィーン生まれ。若年期にボヘミアン生活のなかで英語、フランス語、スペイン語など多くのことばを修得。1950年代に文学集団「ウィーナー・グルッペ」に参加、大胆な音声詩や方言詩によって頭角を現した。以後、鋭い言語感覚に基づいた実験詩や翻訳のかたわら、バロック風の短文集、パロディー的小説など、さまざまな技法を駆使した散文、小説を発表。その作品は文体とジャンルに及んで驚くべき広がりを示しており、ウィーン・バロックを現代に体現した詩人といえる。
[池内 紀]
『アルトマン著、種村季弘訳『サセックスのフランケンシュタイン』(1972・河出書房新社)』