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アレクセイ・ミハイロビチ アレクセイミハイロビチ

百科事典マイペディアの解説

アレクセイ・ミハイロビチ

ロシア皇帝(在位1645年―1676年)。ミハイル・ロマノフの子。ピョートル1世の父。ウクライナを併合,農民の農奴化を進め,ラージンの乱を鎮圧。総主教ニコンと争ってその改革を阻止し,帝権を強化した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アレクセイ・ミハイロビチ
あれくせいみはいろびち
Алексей Михайлович Aleksey Mihaylovich
(1629―1676)

ロシア皇帝(在位1645~1676)。ロマノフ朝初代ミハイル帝の長男として誕生(3月19日)。治世の初め、重税を課したため、モスクワ(1648)など諸都市に一揆(いっき)が頻発した。それを機会に招集されたゼムスキー・ソボール(全国会議)において作成された「会議法典」(1649)のなかで、農奴制が法的に完成した。封建的搾取の強化の結果は、大規模なステンカ・ラージンの乱となった。工業活動を奨励し、商人を保護した。正教の分裂を招いたニコンの教会改革を利用して、教権に対する帝権の優位を確立した。積極的な対外政策をとり、ポーランド、スウェーデン、トルコと戦い、ウクライナを併合した。1676年1月29日に急死した。[伊藤幸男]

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