翻訳|Aleppo
シリアの北部最大都市で、古代から交易拠点として栄えた。人口約356万人(2015年推定)。民主化運動「アラブの春」が波及し、12年7月にアサド政権と反体制派の戦闘が本格化。同8月、取材中のジャーナリスト
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シリア北部の都市で同名県の県都。人口198万(2004)。アラビア語でハラブḤalab。タウルス山脈の麓に位置し,クウェイク川が貫流する。首都ダマスクスと並ぶ大都市で北部シリアの商工業の中心をなし,織物,セメント,セッケン,皮革,食品加工などの工業が有名である。肥沃な農業地域を背景としており,綿花,穀物,果物,およびピスタシオなどが栽培される。古くからユーフラテス川流域と地中海,シリア南部とアナトリア地方を結ぶ商業交通上の接点で,天井が覆われた路地を有するアレッポのスーク(市場)は,絹,香料類,宝石類,銅など特定商品ごとの店舗集団に分かれており,その起源は15世紀にまでさかのぼる。住民はイスラム教徒が中心であるが,そのほかにキリスト教徒アラブ,アルメニア人,クルド人などのコミュニティが存在する。第2次世界大戦後北側ないし西側に急速に拡大し,新しい地区には街路樹のある立派な道路,セメントや石造りの住宅,銀行,ホテル,病院,アレッポ大学,ウガリトやマリの遺跡からの出土品を展示している美術館などがある。旧地区には,スークのほかに,モスクや多くは16,17世紀に建てられたハーン(隊商宿)が残っている。見ごたえのある城砦があり,ヘレニズム時代に造られ12~15世紀に改築された城壁はほぼ完全なまま残っている。アレッポの起源についてはさだかではないが,歴史上その名称があらわれるのはエジプトやアッシリアの記録においてである。エジプト,ヒッタイト,アッシリア,その他オリエントの諸勢力の係争の地となる。セレウコス朝時代に一時ベロエアBeroeaと呼ばれた。ビザンティン時代にキリスト教の中心地として隆盛をきわめるが,636年イスラム教徒に征服され,10世紀半ばにはハムダーン朝の首都となった。オスマン帝国時代にはアレッポ行政区の中心であった。1920年〈アレッポ国家〉の首都となるが,25年シリア国家の誕生とともにこれに併合され県都となる。40-50年代の政党政治期にはアレッポの商人層の利害を代表する人民党の根拠地となり,ダマスクスを根拠とする国民党と対抗した。
執筆者:木村 喜博
アイユーブ朝とマムルーク朝の遺構が多く,いずれも石造建築。モスクには,最も古いジャーミー・トゥタ(7世紀),ダマスクスのウマイヤ・モスクに近似したジャーミー・アルカビール(715創設,1158再建)がある。学院(マドラサ)としては,シリアのイスラム建築中,最も美しいとされるマドラサ・アルフィルダウス(1236),世俗建築としては,アラブの代表的な城砦(12世紀末~13世紀初期),隊商宿ハーン・アルサーブーン(16世紀),ハーン・アルワジール(17世紀)等が挙げられる。
執筆者:杉村 棟
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シリア北部、地中海とユーフラテス川の間にある同国第二の都市。人口193万3700(2003推計)。標高400メートルの内陸高原にあり、気候は大陸性であるが、地中海の影響を受けて冬に降雨がある(年降水量400ミリメートル)。アラビア名をハラブalabといい、すでにヒッタイト期(前2000~前1200)の碑文のなかにその名が刻まれている。海洋民族フェニキア人とメソポタミアの内陸民族が出会う場所で、東西交通の要衝として古くから栄えた。またそのために、中近東を支配下に置こうとする諸勢力の係争地となってきた。16世紀のオスマン・トルコ治下では中近東最大の商業都市として繁栄した。北部シリアの経済の中心で、小麦、大麦、綿花、ゴマ、オリーブ、果実、羊毛などの農産物の集散地である。また絹や綿織物、皮革品など伝統産業のほかに、食料品、紡績、セメントなどの近代工業も発達している。地中海沿岸の港湾都市ラタキア、首都ダマスカス方面やトルコ、イラク方面へ行く鉄道の分岐点である。市内には中世のアラブ式城砦(じょうさい)、スーク(大市場)、国立博物館などがある。1986年に「古都アレッポ」として世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録されたが、内戦により甚大な被害を受けたとして、2013年には危機遺産リスト入りしている。
[原 隆一]
(2012-08-22)
シリア・アラブ共和国第2の都市。東西交通の結節点として繁栄した商業都市であり,重要な政治拠点。その歴史は紀元前20世紀以前にさかのぼり,ギリシア,ローマ時代に都市の基本的構造が確立した。636年ムスリムの支配下に入り,944年にはハムダーン朝の首都となる。オスマン帝国の統治期には17世紀にイラン,インドとヨーロッパ諸国の中継貿易で栄え,フランスなどの領事館が林立した。
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…彼の王朝は前3千年紀末葉のシリアを支配した。またアレッポの南南西にある都市エブラが全シリアに支配勢力を伸ばした(前2400ころ‐前2250ころ)。これはシリア史上まれにみる帝国であった。…
…もちろん都市の周辺には,都市民に小麦や大麦などの食糧を供給するむらが散在し,またときに定着民と敵対しつつ,平時には武力や乳製品を提供する遊牧民の存在も無視することはできない。バスラやアレッポのような都市の名称が,同時にその周辺のむらや牧草地を含む地方名としても用いられる慣行は,都市とむらと遊牧社会の有機的な結合関係を端的に示すものといえよう。しかし権力者や富裕者はきまって都市に居住し,彼らは商業活動や土地経営による富を都市に集中したから,豊かな消費生活や創造的な文化活動が都市以外のところにおこる可能性はほとんど残されていなかったのである。…
※「アレッポ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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