出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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アンドラーシ
Andrássy Gyula
生没年:1823-90
ハンガリーの政治家,伯爵。1848-49年の革命と独立戦争にコッシュートを支持して参加。その敗北後西欧に亡命するが,57年に恩赦。帰国後デアークを支持してオーストリアとの妥協を推進。アウスグライヒ(和協)後の初代ハンガリー首相となる(1867)。71年以後オーストリア・ハンガリー二重帝国の外相。ビスマルクと組んでロシアの影響力の拡大に対抗。72年プロイセン・オーストリア・ロシア三帝同盟を実現,78年のベルリン会議ではボスニア・ヘルツェゴビナ占領を承認させ,79年にはドイツ・オーストリア同盟を成立させた。しかし同年辞職し,公的生活から退いた。
執筆者:南塚 信吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アンドラーシ
Andrássy Gyula
[生]1823.3.3. カシャ
[没]1890.2.18. イストリア,ボロスカ
ハンガリーの政治家。 19世紀後半の中欧の指導的外交官の一人。貴族の家に生れ,1848年のハンガリー独立運動に参加。その敗北後パリへ亡命,57年特赦により帰国。 61年ハンガリー議会に選出され,65年副議長に選任。オーストリアと提携しつつ,ハンガリーの地位向上を目指した。オーストリア=ハンガリー帝国成立後の 67年,ハンガリー初代首相に就任。 71年オーストリア=ハンガリー帝国の外相となり,親ドイツ政策をとり,72年三帝同盟の成立に尽力した。 78年のベルリン会議ではボスニア=ヘルツェゴビナの自国への併合を約束させた。 79年にはドイツ=オーストリア同盟を締結したが,彼の O.フォン・ビスマルクと結ぶ親ドイツ政策は国内の反発を招き,同年辞職した。
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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百科事典マイペディア
「アンドラーシ」の意味・わかりやすい解説
アンドラーシ
ハンガリーの政治家。1867年オーストリアとの和解に貢献,同年ハンガリー王国初代首相。1871年―1879年オーストリア・ハンガリー帝国外相。親独政策を採り,三帝同盟を締結,さらにドイツ・オーストリア同盟を結んだが調印直前に失脚。同名の息子〔1860-1929〕は小アンドラーシと呼ばれ,第1次大戦末期に外相を務めた。
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