アンモニア工業(読み)あんもにあこうぎょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンモニア工業」の意味・わかりやすい解説

アンモニア工業
あんもにあこうぎょう

窒素水素を合成しアンモニアNH3を生産する工業。アンモニアは肥料、火薬のほか、汎用(はんよう)の基礎化学品として多くの化学工業原料に利用されている。窒素と水素を1対3の割合で混合したガスを合成塔に入れ、200~350気圧、450~600℃の状態で触媒の存在下で直接合成する。アンモニア合成技術は、1907年ドイツの化学者F・ハーバーによって理論的に確立され、これを基礎としてバーディシェ社(現BASF)のC・ボッシュが1913年工業化に成功した。合成の際に使用する触媒の種類、圧力・温度などの反応条件、合成塔の構造の違いにより、ハーバー‐ボッシュ法、クロード法、カザレー法ファウザー法、NEC法、テキサコ法、東京工業試験所法、ICI‐ケロッグ法などがあるが、本質的にはハーバー‐ボッシュ法の変型とみてよい。アンモニアの合成に必要な原料の窒素は、空気中から空中窒素固定法によって得られるが、窒素の3倍の容量を必要とする水素は、第二次世界大戦前は水の電解、コークスなどの水性ガス化によってまかなわれていた。戦後は天然ガス石油精製の廃ガス、ナフサなどの分解による割合が著しく増加した。

 日本のアンモニア工業は、1922年(大正11)にカザレー法によって生産が開始された。その後肥料を必要とする農業市場を背景として発展し、第二次世界大戦前はアンモニアを酸化させて製造する硝酸が火薬原料として軍需的に重要視されたので、ドイツに次ぐ生産国となったが、戦災によって壊滅的な打撃を被った。戦後は食糧増産に肥料が必要とされ、重点的に補助金が交付されたため、急速に復興を遂げ、昭和30年代までは化学工業の中核的役割を果たし、1972年(昭和47)には化学肥料の世界最大の輸出国となった。しかし、硫安(硫酸アンモニウム)、尿素などの単味肥料から複合肥料への生産転換、政府の減反政策アンモニアソーダ法の衰退などで国内需要が減退し、さらに1973年のオイル・ショックによる原料価格の高騰は国際競争力を低下させ、天然ガスを原料とする諸外国の参入で輸出も減少した。このため、1978年公布の「特定不況産業安定臨時措置法(特安法)」と1983年公布の「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」に基づいて過剰設備の廃棄などの構造改善が実施され、アンモニアは著しく減産された。

 生産量は、肥料向けの減少から1974年の約400万トンをピークに減り続け、2009年度(平成21)には世界同時不況によってピーク時の4分の1(106万トン)にまで減少し、内需向けに生産されている。輸入は内需(2009年度135万トン)の20%以下(同26万トン)で推移している。日本の肥料生産は減少したが、国際的には、アジアでの食糧需要の増加による農業生産の拡大から肥料需要が増加し、アンモニアの需要は拡大傾向にあるとされる。このような環境下、三井物産の合弁企業カルティム・パシフィク・アンモニア社(KPA社)がインドネシアBOT方式(Build Operate & Transfer、開発途上国の債務を生じさせない協力・支援事業の方法)による生産施設(年産66万トン規模)を2000年から稼働させている。海外のアンモニア需要の8割は肥料向けとされるが、国内需要の9割は工業用で、合成繊維原料としてのアクリロニトリルカプロラクタムや、樹脂や溶剤としてのメラミン、メチルメタクリレートなどに供給されている。また火薬、染料、医薬品、化粧品などの原料としても消費される。毒性は強いが、現行の代替フロンより環境負荷が少ないなどから見直されつつあり、業務用大型冷却器には利用されている。また燃焼させても二酸化炭素CO2を排出しないため、燃料電池の水素貯蔵用として提案されている。2000年以降、超高純度アンモニアには、エレクトロニクス向けの新たな需要分野が登場し期待されている。液晶のバックライトや照明として使われる白色LED(発光ダイオード)、青色LED、DVD用青色レーザー、窒化膜、太陽電池などの需要を想定して、国内や台湾、中国で高純度アンモニアの製造やその拡大を計画する日本企業もみられる。また、20世紀初めに開発され、約100年間利用されてきたハーバー‐ボッシュ法は、エネルギー多消費型の製法であるため、代替技術の開発も進められている。

[青木弘明・大竹英雄]

『有沢広巳編『現代日本産業講座Ⅳ 化学工業』(1959・岩波書店)』『渡辺徳二編『現代日本産業発達史第13 化学工業 上』(1968・現代日本産業発達史研究会)』『金沢孝文他著『無機工業化学 現状と展望』(1994・講談社)』『金融財政事情研究会編・刊『業種別審査事典』第3巻(1999、2008)』『化学工業日報社編・刊「2010年版 化学工業白書」(月刊『化学経済』2010年8月号)』『化学工業日報社編・刊『化学工業年鑑』『ケミカルビジネスガイド』各年版』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンモニア工業」の意味・わかりやすい解説

アンモニア工業
アンモニアこうぎょう
ammonia industry

水素と窒素とを反応させて,アンモニア製品,アンモニア系窒素肥料などを製造する産業。20世紀の初め,ドイツのフリッツ・ハーバーとカール・ボッシュが高温,高圧のもとでアンモニアの合成に成功。このハーバー=ボッシュ法の企業化成功を機として,クロード法,カザレ法,ファウザー法なども開発され,工業化が進められた。日本では 1922年に始まり,石炭化学の一環として発展。特に第2次世界大戦中は軍需火薬,化学肥料の原料として重視された。第2次世界大戦後も化学肥料の重要性はあったが,1955年頃から原料転換が進んだ。これはアンモニア合成に必要な水素の原料を,従来の石炭からナフサ,液化石油ガス,石油廃ガス,天然ガス,原油,水(電解法による)などに転換したもので,テキサコ法,ファウザー法,ICI法,トプソン法などの外国技術が相次いで導入された。それと前後して,国際競争力強化の観点から,通商産業省の行政指導のもとに生産設備の大型化が推進され,1964年頃から 1970年頃にかけて,生産能力は日産 500tへ,次いで 1000tへと引き上げられた。その後,石油危機により肥料の国際競争力が低下し,農業事情の変化などにより肥料用としての需要が激減した。また用途についても工業用の占める割合が増えた。アンモニア工業は,石油化学工業の展開に伴い,化学工業全体のなかに占める比重は低下したものの,工業用,化学肥料用などのほか製氷,冷凍用などにも使われ,依然として重要な工業である。

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