ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンリ3世」の意味・わかりやすい解説
アンリ3世
アンリさんせい
Henri III
[没]1589.8.2. セーヌエワーズ,サンクルー
バロア朝 (→バロア家 ) 最後のフランス王 (在位 1574~89) 。アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスとの間に生れた。 1573年ポーランド王に選ばれたが,兄シャルル9世 (在位 60~74) が 24歳で没したので王位を継承した。当時国内はユグノー戦争の最中であったが,彼はお気に入りの美少年 (ミニョン) ばかりを重用してその政策には一貫性がなかった。 75年2月,ロレーヌ家のボードモン伯の娘ルイズと結婚。 76年カトリック教徒が「カトリック同盟」 La Ligueを結成し,国王の権威を無視したとき,ブロアの全国三部会でカトリック同盟の首長である旨をみずから宣言するという手腕を発揮したが,名前だけで,実質的な指導者はギーズ公アンリであった。ギーズ公は,プロテスタントのアンリ・ド・ナバール (のちのアンリ4世 ) を異端者の首領として追放し,十六人委員会を組織した。王位継承から除外されることを察知したアンリ・ド・ナバールは戦いを開始し,ここに,「三アンリの戦い」が始った。十六人委員会はギーズ公をパリに呼入れ,88年5月 12日「バリケードの日」にパリを掌握。彼は一時パリを脱出してシャルトルに逃れ,12月 23日ブロアの全国三部会でギーズ公を暗殺した。翌 89年都市の蜂起を目前にして,アンリ・ド・ナバールと和解し,合流した両者の軍勢はパリを包囲したが,8月1日,ドミニコ会修道士ジャック・クレマンに刺され,翌2日死去し,バロア朝は滅亡した。
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