イギリス南アフリカ会社(読み)イギリスみなみアフリカがいしゃ(英語表記)British South Africa Company

改訂新版 世界大百科事典 「イギリス南アフリカ会社」の意味・わかりやすい解説

イギリス南アフリカ会社 (イギリスみなみアフリカがいしゃ)
British South Africa Company

1888年C.ローズヌデベレ族の首長ローベングラから鉱業利権を得,リンポポ川以北の開発入植を目的として翌89年に設立した会社理事にはアバコーン公爵,ファイファ公爵などが名をつらねた。同年10月,会社はイギリス王室から特許状を得て特許会社となり,その活動範囲をベチュアナランドおよびトランスバールの北,モザンビークの西に拡大した。

 さらに会社は同地域の行政権,司法権を付与され,軍隊まで保持したが,イギリス本国の監督下に置かれ,毎年イギリス政府に報告書を提出することが義務づけられた。資本金は100万ポンドで,イギリス王室は25年後(その後は10年ごと)に特許を改正ないし廃止することができた。ローズはこの会社を通して南・北ローデシア支配した(ローデシアの名もローズにちなむものである)。

 しかし,1920年代初め白人入植者の会社の独占的支配に対する反感が高まり,22年の国民投票の結果,南・北ローデシアはイギリスの自治植民地となり,特許会社の支配は終わった。しかし,会社はそれまでに同地域に築きあげた資産への保障として,イギリス国庫から375万ポンドの賠償金を得,政治的支配権は放棄したものの,その後も同地域の開発に重要な役割を果たした。特に,鉱業,鉄鋼業,セメント産業,農業,農産物加工業に投資したほか,金融業,カリバ発電所計画,鉄道,ホテル業にも進出し,南・北ローデシアのほとんどすべての基幹産業を掌握した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イギリス南アフリカ会社」の意味・わかりやすい解説

イギリス南アフリカ会社
いぎりすみなみあふりかがいしゃ
British South Africa Company

1889年セシル・ローズとアルフレッド・バイトによって設立された特許会社。ンデベレ人(マタベレ人)の首長ロベングラから鉱山採掘権を取得し、リンポポ川以北の南ローデシア(現、ジンバブエ)の開発と白人入植を目的とした。同年10月、イギリス女王より特許(ロイヤル・チャーター)を与えられ、同地域の行政、司法権を許されたのみならず、会社所属の軍隊をもった。設立時の資本金は100万ポンドで、会社は毎年イギリス政府に活動報告書を提出することが義務づけられ、イギリス王室は25年後(それ以降は10年ごと)に特許を更新することを定めた。1893年のマタベレの反乱に際して、会社は反乱を鎮圧し、以後南ローデシアの支配権を得て、鉱山採掘に伴う鉄道建設、農業開発に伴う白人移民を奨励した。1920年代初め、会社の独占的支配に対する白人入植者の反対が高まり、イギリスは南ローデシアに対し、自治政府へ移行するか隣国南アフリカ連邦へ合併するかの選択を迫った。1922年10月国民投票の結果、自治政府移行賛成者が多数派を占め、1923年9月ローデシア自治政府が成立、会社の支配は終わった。しかしその後も会社は375万ポンドの補償金を得て、南ローデシアの基幹産業を支配するとともに、北ローデシア(現、ザンビア)にも進出した。

[林 晃史]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イギリス南アフリカ会社」の意味・わかりやすい解説

イギリス南アフリカ会社
イギリスみなみアフリカがいしゃ
British South Africa Company

喜望峰からカイロを目指してのイギリス領アフリカ植民地の拡張という遠大な計画のもとに,C.ローズが A.バイトとともに,1889年 10月女王特許状に基づいて創設した会社。その管轄地域は,イギリス領ベチュアナランドの北,トランスバールの北と西およびポルトガル領東アフリカの西と定められた。会社の獲得した領土は 91年イギリス保護領とされ,95年ローズにちなんでローデシアと呼ばれることになった。南ローデシア (現ジンバブエ) については白人責任政府が誕生した 1923年,北ローデシア (現ザンビア) については植民省に移管した 24年,それぞれの管轄権を会社は委譲した。その後もこの地域に鉱業採掘権を保持。 65年他会社と合併。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イギリス南アフリカ会社」の解説

イギリス南アフリカ会社(イギリスみなみアフリカがいしゃ)
British South Africa Company

セシル・ローズリンポポ川以北の土地を領有するため,1889年イギリス政府から特許状を得て設立。これにより南・北ローデシアが形成されたが,入植者社会の成長と自治要求,政府負担の増加などのため,特許会社の支配は南では1923年,北では翌年に終了した。しかしその後も会社は地域の基幹産業を掌握し続けた。

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世界大百科事典(旧版)内のイギリス南アフリカ会社の言及

【ザンビア】より

… 18世紀末のポルトガル人の遠征に続いて,19世紀半ばリビングストンがイギリス人として初めて訪れた。19世紀末C.ローズのイギリス南アフリカ会社は南アフリカからさらに北方への進出を企て,リンポポ川以北のマタベレランド,マショナランド,マニカランドを手に入れ,南ローデシア(現在のジンバブウェ共和国)をつくった。つづいて1890年にザンベジ川上流域のロジ王国のレワニカ王から鉱山採掘権を入手し,さらに北方のベンバ族を強敵ヌゴニ族から守るという名目で99年にはほぼ現在のザンビア(北ローデシア)全域を手に入れた。…

【ジンバブウェ】より

…ヌデベレ族の王ローベングラは,この地域への進出を企てていたC.J.ローズとのあいだに協定を結び,金銭およびライフルと引換えに一部の地域の鉱山採掘権を与えた。しかしローズはこの協定を無視して全地域にわたる支配権の掌握をめざし,1889年特許会社のイギリス南アフリカ会社を設立した。ヌデベレ族は93年,そして96‐97年にショナ族とともに反乱を起こしてヨーロッパ人の侵入に対抗したが,圧倒的な武力のまえに鎮圧された。…

【ヌドラ】より

…銅製錬,鉱山器具製造など銅生産に関連する工業から,自動車組立て,セメント,履物,セッケン,砂糖など各種の工業が発達し,商業活動も活発である。この銅山地帯にセシル・ローズのイギリス南アフリカ会社が鉱業権を獲得し,ヨーロッパ人が流入し始めたのは1900年ころであるが,原住民による銅採掘ははるかに古い時代から行われていた。【西野 照太郎】。…

【レワニカ】より

…84年反乱を起こした首長たちによって退位させられたが,忠誠な軍隊がこれを鎮圧するとともに翌年復位し,以後〈統一者〉と称して外は他部族の侵略を阻止し,内は王位の安泰をはかった。そのためにはむしろイギリスの保護の下に入る方が得策と考え,90年イギリス南アフリカ会社との協定に進んで署名した。その結果王権は制約されたが,キリスト教伝道団を通じて西欧的教育の導入をはかり,自国の近代化につとめた。…

【ローズ】より

…南アフリカの鉱山王。イギリス南アフリカ会社の創設者。イギリスのハートフォードシャー生れ。…

※「イギリス南アフリカ会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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