翻訳|insulin
インスリンともいう。膵臓に散在する内分泌組織,ランゲルハンス島β細胞で生合成され,分泌されるホルモン。名は島insulaにちなむ。肝臓,筋肉,脂肪組織などに作用し,主として補給栄養系の体内蓄積同化を促進し,グルカゴン,成長ホルモン,コルチゾール,エピネフリンなどの異化作用と拮抗して代謝の調節をつかさどり,結果として血糖を低下させる。
インシュリンは1921年,バンティングF.G.BantingとベストC.H.Bestによって,膵臓の抽出物中から,血糖降下物質として見いだされた。次いで26年,エーベルJ.J.Abelが結晶化に成功,55年にサンガーF.Sangerがそのアミノ酸配列を明らかにした。インシュリンは,アミノ酸配列が決定された最初のタンパク質である。また82年,ヒトホルモンとして初めて遺伝子工学の技術によって合成された。インシュリンは,その作用不足によって起こる糖尿病の主治療薬として,ひろく用いられている。哺乳類のインシュリンは,分子量約5700,アミノ酸残基51個のポリペプチドで,21個と30個の,それぞれA鎖,B鎖とよばれる2本のポリペプチドからなり,二つのS-S結合によって結ばれている。中性の条件下では,2分子のインシュリンからなる二量体として存在するが,亜鉛が加わると,これを中心に6分子の菱面体結晶を形成する。ヒトインシュリンの遺伝子は第11染色体の短腕に座し,生合成は核内でメッセンジャーRNAに転写され,小胞体のリボソームで通常のタンパク質合成と同様の過程を経てプレプロインシュリンとなり,粗面小胞体で速やかにインシュリン前駆物質のプロインシュリンに,次いでゴルジ体でA鎖とB鎖をつないでいるCペプチド(結合ペプチドともいう)を切り離してインシュリンに変換される。インシュリン分泌を刺激する物質は,糖,タンパク質,脂肪の三大栄養素のほか,ペプチドホルモン,神経伝達物質,陽イオン,スルフォニル尿素剤など多種多様であるが,最も強力な生理的刺激物質はグルコースである。刺激を受けると,膵臓ランゲルハンス島のβ細胞の細胞膜のイオン透過性が変わり,細胞内遊離カルシウムイオン濃度が上昇する。その結果,細胞内のカルシウム受容タンパク質がATPを介して活性化され,分泌顆粒の細胞膜への移動,膜融合が生じ,インシュリンは血中に放出される。
循環血液中のインシュリンは,細胞膜表面にインシュリンに対する特異的な受容体(レセプター)を有する細胞に受け取られる。受容体は分子量約30万の糖タンパク質で,インシュリンと受容体が結合すると,細胞膜での糖,アミノ酸,カリウムイオンの取込み促進,原形質でのグリコーゲン合成酵素の活性化によるグリコーゲン合成促進と分解の抑制,ホルモン感受性リパーゼの阻害による脂肪分解の抑制,ミトコンドリアでのピルビン酸脱水素酵素の活性化,リボソームでのタンパク質合成や酵素合成,核でのRNAやDNA合成の促進等の多彩な作用が秒から日の単位の速度で並行して進行する。
主として糖尿病の治療薬として用いられるが,経口服用では消化管で消化されてしまうなどのため,注射以外は無効である。製剤としては,かつてはウシインシュリンが多用されたが,近年は抗原性の少ないブタインシュリンに代わりつつある。また製剤中に混入するプロインシュリンやCペプチドを除くくふうも凝らされている。インシュリン製剤には,インシュリン注射液,インシュリン亜鉛水性懸濁液,プロタミン-インシュリン亜鉛水性懸濁液,イソフェンインシュリン水性懸濁注射液など種類が多い。これは,インシュリン製剤技術の進歩の結果である。亜鉛添加で結晶化が容易になることが明らかにされて(1929),結晶インシュリンがつくられた。これによって注射局所の痛みやはれが少なくなったが,効果時間は短くなった。その後,インシュリンに塩基性タンパク質,プロタミンを結合させると作用時間が長くなることがわかり(1936),これに亜鉛を加えると安定化し,吸収も遅く,効力持続性が著しく大きくなることが明らかになった。ところが,これは一方で夜間の低血糖の危険も伴うところから,インシュリンとプロタミンを電気的に均衡した状態で結晶化する方法が開発された(1946)。これがイソフェンインシュリンである。このようにして,現在では症状によって効力や持続時間の異なる製剤を適用できるようになっている。
インシュリン注射量は,尿糖1.5~2.0gに対し約1単位の割合で,1日5~60単位程度である。過量投与によって低血糖の症状を呈したときは,ただちにブドウ糖の補給や砂糖,はちみつなどを与えれば回復する。糖尿病患者では注射回数が非常に多くなるので,安全かつ苦痛の少ない自己用注射器がくふうされ,持続的に微量を注入できる携帯用装置の開発も進められている。また血糖値を常時モニタリングし,必要に応じてインシュリンを注入する装置や人工膵臓の開発,研究も盛んに行われている。
インシュリンは,糖尿病以外に統合失調症に対し,低血糖性昏睡や痙攣(けいれん)発作を起こさせて治療するインシュリン・ショック療法にも用いられるが,その後に現れた電気ショック療法,薬物療法にとって代わられつつある。また妊娠悪阻や栄養障害時の食欲増進に用いることもある。
現在,インシュリンは高価なので,微生物に生産させて,安定的に安価に供給しようと,遺伝子工学技術の開発が盛んに進められている。
執筆者:菊池 方利+川田 純
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…とくに新製品開発に意欲をもつ先進国の医薬品工業,化学工業,発酵工業において研究開発が盛んに行われている。 たとえば糖尿病の治療に用いられるインシュリンは膵臓(すいぞう)でつくられるホルモンであるが,医薬として大量に生産するのは容易ではない。そこで大腸菌の中で増えるプラスミドという環状DNAにインシュリンの遺伝子を人工的に組み込み(組換え体DNA),大腸菌にインシュリンを作る能力を与えるということが考えられ,実際に成功した。…
… 60~160mg/100mlという血糖の変動幅の下限は,グルコースを主たるエネルギー源とする脳が機能しなくなる濃度であり,上限は後述の腎臓のグルコース再吸収能の及ばなくなる濃度である。このような生体機能の正常化を期待できる範囲につねに血糖濃度を保持する仕事は主として肝臓で行われ,血糖濃度に呼応して膵臓のランゲルハンス島から分泌されるインシュリンの働きによる。
[血糖の需給関係]
血中グルコースの最大需要者である脳は,1日に144g,1分間100mgの割合でグルコースをたえず消費し,赤血球も1日に36g,1分間25mgをたえず消費する。…
…十分に食べたら満腹感が発生し,摂食行動は停止する。食欲発生に関与する身体内部環境情報としては血糖値(血中ブドウ糖濃度で,生体にとって最も重要なエネルギー源),インシュリンなどの濃度減少や遊離脂肪酸,アドレナリン,ノルアドレナリン,グルカゴン,ACTH(副腎皮質刺激ホルモン),成長ホルモンなどの濃度上昇,胃の空腹収縮などがある。満腹感の発生に関与する内部環境情報としては,血中各物質の濃度が空腹時とは逆方向に変化することや食物消化時の特殊力源作用による体温上昇,胃壁の伸展による幽門部付近の動き受容器の刺激などがある。…
…膵臓ホルモン,なかでもインシュリンの作用不全の結果生じる代謝異常状態をいう。代謝異常とは,栄養物の分解により生体の活動を支えるエネルギーを産生し供給する過程が円滑に運行されないことである。…
…オンタリオ州ロンドンで開業,地元のウェスタン大学で解剖学と生理学を講じた。糖尿病に注目し,21年トロント大学生理学教授マクラウドJohn Macleod(1876‐1935)の協力で実験室と共同研究者ベストCharles H.Best(1899‐1978)を得て,膵臓のランゲルハンス島から分泌されるインシュリンを発見,これを糖尿病治療に用いて卓効を示した。23年マクラウドとともにカナダで初めてノーベル生理・医学賞を受賞した。…
…しかし,魚類から鳥類までの動物では独立の組織塊として存在する。(6)膵臓ホルモン インシュリン,グルカゴンの二つがある。前者はB細胞でプロインシュリンとして生産される。…
※「インシュリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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