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インド藩王国 インドはんおうこくIndian States

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

インド藩王国
インドはんおうこく
Indian States

イギリス統治下のインドで,イギリス領インド政府の保護国とされた藩王国。インドには以前から数多くの藩王国が存在していたが,イギリス東インド会社は領地併合や「失権の原理」などによりその数を減らした。インド大反乱に際してイギリスに助力した藩王国は,インド帝国の成立後もイギリスの宗主権下に存続が認められたが,宣戦,外交,関税などを政府にゆだね,ごくわずかな内政権しかもたなかった。さらにインド政府は駐在官を派遣して行政を監督した。 1947年インド共和国独立後,インドあるいはパキスタンにその領地が併合されたが,カシミールはその帰属をいまだに決定していない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

インド藩王国
いんどはんおうこく

イギリス東インド会社との条約およびインド副王(総督)の授権証書によって、外交、軍事の権能を接収され、かつその統制下で内政自主権を留保されたインドの諸土侯国。藩王国の起源は、ムガル帝国の州、マラータおよびラージプートの諸領邦、その他の局地的小土侯領のうち、東インド会社との同盟関係を結んだ諸国であり、インド政庁の制定法が施行されるイギリス領インドとは区別された。藩王国はイギリス国王(インド皇帝)の至上権のもとで、副王直轄の政務部に管理され、幣制、関税、鉄道建設などの面ではしだいに自主権を認められなくなった。藩王国の総数は約600、面積は独立前のインドの約45%、人口は約24%を占め、ハイデラバードやカシミールのような大国から一地方の地主所領規模のものまで実態は多様であった。政治史上では、19世紀後半には藩王主権と帝国至上権との関係がしばしば論議されたが、1921年に、藩王国出身兵からなる帝国勤務部隊のイギリスへの協力に対する報償として、また民族運動への対抗策として藩王会議が勅令で設置された。以後インド統治法改正や民族運動側の憲法構想のなかで、藩王国のインド連邦への参加の条件や形態が重要課題になった。しかし民族運動は藩王国内にも拡大し、藩王専制の打破を目ざす全インド藩王国人民会議が結成された。インド、パキスタンの独立(1947)とともに帝国至上権は消滅し、これらの藩王諸国は多少の曲折はあったが、解体され、独立国家に統合された。[高畠 稔]

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