世界大百科事典(旧版)内のイーゴリ(南ロシア諸公)の言及
【イーゴリ軍記】より
…キエフ・ロシアの叙事文学の代表的作品。南ロシアの諸公のひとりイーゴリIgor’(1151‐1202)が1185年にチュルク系遊牧民ポロベツ族に対して行ったステップへの遠征を題材としている。戦いに敗れて捕らえられたイーゴリがロシアへ帰還したのち,遅くとも87年までに成立した。…
【キエフ・ロシア】より
…キエフの支配者アスコリドとジール(兄弟の公)による860年のコンスタンティノープル攻撃の遠征は,ビザンティンの人びとにも強い印象を残した。北のノブゴロドには,スラブ人の公ワジムを征して権力を握ったノルマン人の伝説的首長リューリクがいたが,その死後,遺児イーゴリを奉じた従士団の長オレーグ(在位882‐912)の軍勢が南下進攻を始め,アスコリドとジールを倒して都市国家キエフの支配者となった。これが882年のことであり,北のノブゴロドと南のキエフは,名目上は単一のリューリク朝君主の共通の支配下に入り,ここに全ロシア的なキエフ・ロシアが誕生するのである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」