ウェルズリー(読み)うぇるずりー(その他表記)Marquess Richard Collin Wellesley

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウェルズリー」の意味・わかりやすい解説

ウェルズリー
うぇるずりー
Marquess Richard Collin Wellesley
(1760―1842)

イギリスのインド行政官、ベンガル総督(在任1798~1805)。第四次マイソール、第二次マラータ両戦争によって、マイソール、中央インド、マルワなどを征服し、在地政権の失政口実アワドの一部やその他の土侯領を併合した。武力征服による領土拡張のほか、土侯国にイギリス人駐在官を派遣し、東インド会社軍の駐留費を支払わせ、従属国化する形での版図の拡大も、彼の好んだ政策であった。他方、統治のための文官の高等教育の必要を唱え、フォート・ウィリアム研修所を開いたが、東インド会社の取締役会の承認を得られず廃止された。相次ぐ戦争の強行が歳出増を招いたことから本国不評を買い、召喚された。

高畠 稔]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェルズリー」の意味・わかりやすい解説

ウェルズリー
Wellesley, Richard Colley, Marquis Wellesley

[生]1760.6.20.
[没]1842.9.26. ヨークシャー,ブロンプトン
イギリスの政治家。 A.ウェリントン (公)長兄上院議員 (1787~97) を経て,インド総督 (在任 97~1805) となる。その間,マイソール戦争 (1799) や第2次マラータ戦争 (1803~05) などによって,インド南部および中央部でイギリスの領域を拡大し,北西部を除くインド支配を確立。帰国後,スペイン大使 (09) ,外務大臣 (09~12) ,アイルランド総督 (21~28,33~34) などをつとめた。

ウェルズリー
Wellesley

アメリカ合衆国,マサチューセッツ州東部にある町。ボストン都心から西南西約 20kmにある住宅大学の町。 1881年デダムから分離し,独立した町になった。 H. F.デュラント夫妻が創立したウェルズリー・カレッジがあり,全国的に有名。人口2万 6615 (1990) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウェルズリー」の解説

ウェルズリー
Richard Colley Wellesley

1760~1842

イギリスの政治家,植民地行政官。1798~1805年の間,ベンガル総督就任デカン,南インドにおけるイギリスの勢力を確立し,北インドでも領域を拡大して,イギリス領インド帝国の基礎を固めた。その後イギリスに戻り,外交アイルランド統治に活躍した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android