イギリスの経済学者で植民地政治家。1834年に南部オーストラリア植民のための協会を組織。次いで〈ニュージーランド土地会社〉をロンドンで組織,その経営にあたった。イギリス政府ははじめ協力を拒否したが,彼は39年独力で原住民から土地を購入し,〈トーリー号〉を派遣して植民者を送り込んだ。しかしフランスがこの島の領有を企てるに及んで,イギリス政府もこれをニュー・サウス・ウェールズ植民地の一部として公認した。49年,現地のカンタベリーに国教会を設立,54年にはニュージーランド総督の特別顧問となる。このような実践を踏まえて,近代的な植民理論を完成した彼は,さらにそこから独特の経済理論を展開した。とくに,植民地の経験から,賃金労働者がいなければ資本は資本として機能しないことなどを強調,また本国における資本主義の諸矛盾を植民地の拡大によって解決することを主張した。主著は《イギリスとアメリカ》(1833)。
執筆者:川北 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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イギリス、イングランド中北部、ウェスト・ヨークシャー大都市県にある都市。リーズの南方約15キロメートルに位置し、商工業が盛ん。人口31万5173(2001)。産業革命期までの約700年間、ヨークシャーの毛織物工業と商取引の中心地。革命期以降その地位をリーズおよびブラッドフォードに奪われた。今日は工業業種も多様化している。14世紀に建築されたチャントリー・チャペルは橋の上の礼拝堂として有名。
[久保田武]
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