ウスマーン(英語表記)`Uthmān

精選版 日本国語大辞典 「ウスマーン」の意味・読み・例文・類語

ウスマーン

(‘Uthmān) イスラム教第三代正統カリフ(在位六四四‐六五六)。ウスマーン本として今日に残るコーランを編纂した。六五六年没。

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デジタル大辞泉 「ウスマーン」の意味・読み・例文・類語

ウスマーン(‘Uthmān)

[?~656]イスラム教第3代正統カリフ。在位644~656。軍の反乱によって殺害されたが、ウスマーン本として今日に残るコーランを編纂したことで知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウスマーン」の意味・わかりやすい解説

ウスマーン
`Uthmān

[生]574頃.メッカ
[没]656.6. メジナ
イスラム国家第3代カリフ (在位 644~656) 。クライシ族ウマイヤ家の出身。裕福な商人で,早くからイスラムに改宗した者の一人。ムハンマドの娘ルカイヤと結婚し,彼女の死後にもう1人の娘ウンム・クルスームをめとったが,その系統では子孫を残していない。アビシニア (エチオピア) に移住し,ムハンマドのメジナへのヒジュラ (聖遷) に合流した。第2代カリフ,ウマル1世によって,その後継者選出委員会の一員に指名され,その互選により第3代カリフに選出された。彼の温厚な人柄が,ウマル政策をそのまま継承するに最適と判断されたからである。その治世前半は征服事業が順調に発展したが,後半になると征服事業が一段落してイスラム国家内部の矛盾が表面化してきた。彼はウマイヤ家一門の者を登用して行政の中央集権化をはかり,アラブ戦士への統制を強化した。また『コーラン』の標準本を定めて,各地で異なった方法で読まれていた状態を改めた。このような政策はアラブ戦士やコーラン誦承者の不満を呼び,さらに征服事業が停滞したのも彼の優柔不断な性格のせいであるとされた。不満分子が各地から隊を組んでメジナに押寄せ,彼の責任を追及した。メジナにいた政界の実力者たちも不満分子を陰で扇動し,ついに一部過激派がウスマーンを殺害した。これ以後イスラム国家は内乱時代に入る。

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改訂新版 世界大百科事典 「ウスマーン」の意味・わかりやすい解説

ウスマーン
‘Uthmān b.`Affān
生没年:?-656

イスラムの第3代正統カリフ。在位644-656年。預言者ムハンマドよりは少し若い,古くからの信徒。クライシュ族のウマイヤ家出身。第2代カリフのウマル1世遺言でできた6人の長老会議の互選により,カリフ位についた。その治世の前半は順調であったが,後半は一族・縁者に偏る人事に,征服地に駐屯していた戦士の不満が強くなり,ついには不満分子の過激派の手で殺害された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウスマーン」の意味・わかりやすい解説

ウスマーン
うすまーん
‘Uthmān b. ‘Affān
(?―656)

正統第3代カリフ(在位644~656)。メッカのクライシュ人ウマイヤ家出身。ごく初期にイスラムに改宗後、教団の重鎮となり、ムハンマド(マホメット)の娘ルカイヤ、次いでウンム・クルスームと結婚。カリフ就任後、同ウマイヤ家出身者を登用して、中央集権化に努める一方、欽定(きんてい)本コーランの発行、その他さまざまな新政策を行った。これが地方アラブ戦士の利害と衝突し、メディナで暗殺された。

[花田宇秋]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウスマーン」の解説

ウスマーン
‘Uthmān

?~656(在位644~656)

第3代正統カリフ。イスラーム最初期の改宗者。カリフ就任後,大征服によって拡大したイスラーム世界に中央集権化を推し進めたが,その過程でみずからの出身部族であるウマイヤ家を優遇した。また初期改宗者を優遇するウマルの政策を放棄し,大部族の利害を尊重したため,反発する初期改宗者による争乱のなかで殺害された。またコーランの異本を廃し,決定版を作成した。

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