ドイツの詩人。チュービンゲンに生まれ,法律と文学を学び,弁護士になる一方,独仏の古い民謡・民話の研究にも取り組み,古謡の収集に業績をあげ,大学で文学の講義も担当した。早くからシュワープGustav Schwab(1792-1850)らと親交を結び,民謡的な詩や《盲いた王》《詩人の呪い》などバラードの名作を書いて,後期ロマン派のシュワーベン詩派を代表する詩人となった。シューベルトやシューマンの作曲によって親しまれている詩も多い。ナポレオン戦争の時期には国土防衛の意気に燃え,愛国主義的な詩も書いたが,基本的には進歩思想の持主であり,自由主義的な憲法の制定を主張してビュルテンベルクの州議会の議員を務めた後,1848年のフランクフルト国民議会に代議員として参加した。しかし,詩作には社会改革を積極的にうたったものはなく,政治思想と詩的創作の乖離(かいり)がみられる。
執筆者:神品 芳夫
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ドイツ後期ロマン主義、シュワーベン詩派の代表的詩人。生地チュービンゲン大学で法律を修め、パリに遊学、専攻の法学よりもフランスやドイツの中世文学に傾倒。弁護士を経て自由・民権の闘士として州議会やフランクフルト国民議会の代議士となり活躍の一方、詩作と文学の研究を続け、学殖を認められて、一時、出身大学でドイツ文学の員外教授、ドイツ統一の夢が破れると、ドイツの中世文学や民謡の研究に専念した。その素朴な叙情詩は自然と郷土への親愛感にあふれ、洗練された格調で人々に共通の心情や体験を詠じた。伝説や史実による叙事的物語詩がとくに優れ、『若きジークフリート』『良き戦友』『居酒屋の娘』などは好んで朗読され、歌として愛唱されている。民謡収集・研究の成果『ドイツ古民謡集』(1844~45)は詳しい論考・注釈付きの最初の学問的ドイツ民謡集で、ドイツの伝説や文学史の論著とともにいまなお高く評価されている。
[原 俊彦]
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