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エコール・ド・パリ エコール・ド・パリ École de Paris

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

エコール・ド・パリ
エコール・ド・パリ
École de Paris

パリ派。パリに定住した外国人芸術家の集団。 13世紀,あるいは第1次世界大戦後のパリをはじめ,各時代にこの種の集団が存在したが,一般には第1次世界大戦後~第2次世界大戦前に,モンパルナスを中心としてパリに集った外国人美術家たちをさす。

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知恵蔵の解説

エコール・ド・パリ

1920年代を中心に芸術の都パリに集まった、主に外国人美術家の一群。祖国を離れ、貧しく悲惨な生活を送った作家も多く、モンパルナスの住宅兼アトリエ蜂の巣」が活動拠点の1つだった。特定の流派があるわけではないが、作家の民族的・文化的背景を感じさせるものが目立つ。比較的ユダヤ系が多く、シャガールは故郷ロシアの村の伝承を幻想的に描き、ボヘミアンの画家と呼ばれたイタリア出身のモディリアーニは首の長い人物像で知られる。藤田嗣治は日本画を思わせる洗練された線を生かし、乳白色の肌の女性を描いた。ほかにリトアニア出身のスーチンポーランド出身のキスリングブルガリア出身のパスキンらが知られる。憂鬱な街角の風景を描いたユトリロはパリ生まれだが、仲間に加えられる。

(山盛英司 朝日新聞記者 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
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デジタル大辞泉の解説

エコール‐ド‐パリ(〈フランス〉École de Paris)

《パリ派の意》1920年代より第二次大戦前まで、パリに集まった画家たち。主に外国人で、のちにフランス人画家も含める。シャガールモディリアニ藤田嗣治(ふじたつぐはる)スーチンユトリロなど。

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百科事典マイペディアの解説

エコール・ド・パリ

美術史用語。特定の流派ではなく,シャガールモディリアニキスリングスーティンパスキン藤田嗣治ら,第1次大戦後主にパリのモンパルナスに定住して,哀愁にみちた作品を描いた外国人画家たちをさす。
→関連項目大原美術館名古屋市美術館バン・ドンゲン北海道立近代美術館

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エコール・ド・パリ
えこーるどぱり
cole de Paris

第一次世界大戦と第二次大戦の間、主として1920年代のパリで制作した外人画家たち、それも、キュビスムその他の特定の前衛活動に拘束されることなく、それらの流派の枠外で、叙情的、表現主義的傾向を求めた画家たちのグループをさす。当時、パリの画壇で活躍した福島繁太郎(しげたろう)たちの命名によるもので、こうした流派が結成されたのでもなく、特定の運動がなされたものでもない。典型的な画家たちとしては、イタリアのモディリアニ、ロシアのシャガール、ポーランドのキスリング、リトアニアのスーチン、ブルガリアのパスキンたち。さらに、ポーランドのレオポルド・ゴットリーブ、ウジェーヌ・ザク、ロシアのキュイン、クレメーニュ、マネ・カッツ、さらに日本のフジタなどを含めるのが通常である。いずれも、1883年から1900年の間の生まれ。パリでの制作は、20世紀初頭から1920年代初めに始まっている。この時期に、印象派以降の近代絵画史がパリを中心として成熟し、その前衛活動の推進力と、パリの芸術風土の自由な雰囲気によって、全世界の芸術家たちのメッカとしてのパリが成立し、かつてルネサンスから19世紀末に至るまで、ローマが占めていた地位を継いだことが、エコール・ド・パリ成立の要因である。パリが芸術の都として外人芸術家を魅惑し、一種のパリ派が形成されたことは、中世にも18世紀にもあり、第二次大戦後にも認められ、この第二次大戦後の外人画家たちを「第二次エコール・ド・パリ」とよぶ向きもある。しかし、本来便宜的な名称にすぎないエコール・ド・パリの呼称は、二つの大戦間のパリの外人画家たちの活動の特殊性を象徴的に表しているようである。
 前述の画家たちが、フジタを例外としてすべてユダヤ系の外国人であり、とりわけ第一次大戦後は、なかば決定的に祖国から離れている。シャガール、マネ・カッツのように幼年時代の回想に永遠の主題をみいだした画家たち、あるいはモディリアニ、パスキンのようにパリの生活に溶け込んだ画家たちと、方向は千差万別であったが、なんらかの形で彼らの出生と母国の伝統の根をもち、国際的な流亡者としての哀歓の表現に彼らの絵画のすべてを捧(ささ)げていることも共通点の一つである。
 同時に、それは、二つの大戦間の「第二のベル・エポック」と名づけられるよき時代のパリの青春、またその表面の華やかさなり伝説的な貧困の背後に底流する不安とも結び付いている。彼らはモンマルトル、モンパルナス、とくに後者で生活を営み、キュビスムの影響をも受け、個人的にも親交をもった。しかしそれにもかかわらず、それらの影響は部分的なものにとどまり、純粋な造形的実験なり、ある特定の理念の主張に走ることを避けて、日常的、具象的なテーマのみを追い求めたことに、前記のような精神的な背景があったというべきだろう。したがってそれらは、きわめてフランス的、さらに明確にいうならパリ風の表現主義としてとらえることが可能である。[中山公男]

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