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フランスのオペレッタ作曲家。6月20日ドイツのケルンでユダヤ人の家庭に生まれる。14歳のときにパリに移り、劇場のチェロ奏者を務めながらアレビーに作曲を学んだ。チェロの小品や歌曲などの作曲・編曲を手がけたのち、1839年以後舞台音楽を次々に発表した。55年シャンゼリゼにブーフ・パリジャン劇場を開設し、58年『地獄のオルフェウス』(邦題『天国と地獄』)で人気を獲得した。その後『美しいエレーヌ』(1864)をバリエテ劇場で初演し、オペレッタ作曲家としての名声を不動のものにした。以後おもにバリエテ劇場で『パリの生活』(1866)、『ジェロスティン大公夫人』(邦題『ブン大将』1867)、『ペリコール』(1868)などの傑作を発表した。70年プロイセン・フランス戦争が勃発(ぼっぱつ)、ナポレオン3世による第二帝政の崩壊により、オッフェンバックの作曲活動はその基盤を失った。一時期イタリア、スペインに逃れ、アメリカを旅した彼は、晩年にオペラの創作に向かい、E・T・A・ホフマンの作品に基づく『ホフマン物語』の完成に努めたが、80年10月5日、完成目前に世を去った。「ホフマンの舟歌」で有名なこの作品は、オッフェンバックの死の翌年、ギローの補筆により初演された。
オッフェンバックのオペレッタは、明快で親しみやすい旋律、効果的なオーケストラの用い方、音色の変化、ワルツやカンカンなどの踊りの積極的な導入、歌詞自体の滑稽(こっけい)さなどにあふれたものである。台本はおもにメイヤックとアレビー(前記の同名作曲家の甥(おい))の共作になり、その神話や伝説を題材にして繰り広げられる風刺は、音楽とともに、第二帝政の時代と社会に密接に結び付いたものであった。ロッシーニは彼を「シャンゼリゼのモーツァルト」とよび、哲学者ニーチェも彼の音楽を愛した。日本では大正期の浅草オペラ時代(1916以降)から彼の主要作品が紹介されてきた。
[美山良夫]
『クラカウアー著、平井正訳『天国と地獄――ジャック・オッフェンバックと同時代のパリ』(1978・せりか書房)』
オペレッタの作曲家。パリで育ち,フランスに帰化したユダヤ系ドイツ人。本名はヤーコプ・エーベルスト。チェロ奏者としてデビューしたが,1855年からブッフ・パリジャン劇場を主宰,自作の1幕オペレッタを多数上演して大成功をおさめた。代表作に《地獄のオルフェ》(1858。邦題《天国と地獄》),遺作のオペラ《ホフマン物語》(1881,ギローが補筆完成)などがある。
執筆者:片山 千佳子
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…フランスの作曲家J.オッフェンバックが作曲したプロローグとエピローグをもつ3幕のオペラ。J.バルビエとM.カレーの台本により,ドイツ・ロマン派の作家で作曲家のE.T.A.ホフマンの小説のいくつかから自由に題材をとって作られている。…
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