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オールコック オールコック Alcock, Sir John Rutherford

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オールコック
オールコック
Alcock, Sir John Rutherford

[生]1809.5. ロンドン
[没]1897.11.2. ウェストミンスター
イギリスの初代駐日全権大使。初め外科医を志し,軍医として従軍,のち極東に関心をもち,1843年清国に渡り,各地領事を歴任。関税行政を改革し,アロー号事件 (→アロー戦争 ) で武力政策をとる。

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百科事典マイペディアの解説

オールコック

英国の外交官。1858年,英国の初代駐日総領事となる。米国公使ハリスの帰国後は在日各国外交団の指導権を握る。1864年四国連合艦隊の下関砲撃を実行し幕府の貿易制限の撤廃に成功。
→関連項目ロシア軍艦対馬占領事件ロッシュ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

オールコック Alcock, Sir John Rutherford

1809-1897 イギリスの外交官。
1809年5月生まれ。はじめ外科医,34歳で外交官となる。安政6年(1859)初代駐日公使。東禅寺事件水戸浪士におそわれるが,難をまぬかれた。元治(げんじ)元年四国艦隊下関砲撃を主導したため,本国に召還された。1897年11月2日死去。88歳。イーリング出身。著作に「大君(たいくん)の都」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

オールコック

没年:1897.11.2(1897.11.2)
生年:1809.5
幕末のイギリスの外交官。ロンドンの近郊イーリングに医師の子として生まれる。ウエストミンスター病院と王立ウエストミンスター眼科病院に学生として入学。1825年パリに行き,解剖学,化学,博物学を学ぶ。一方でフランス語イタリア語を修得し,文学や芸術に強く目覚めた。帰国後,住み込み医師として働き,32年,ロイヤルカレッジから外科医の免許を受けるや,ポルトガル,スペインでイギリス軍派遣部隊の軍医として38年まで従軍した。翌39年王立内科・外科協会の会員となり,サイデンハム・カレッジの外科学講師を務め,42年には内務省の解剖検査官をも務めたが,イベリア半島従軍時代の後遺症である両手親指の麻痺症状が出る。これは外科医としては致命的であった。44年,外務省の中国在勤領事の募集に応じて合格,福州の初代領事に転身した。同年11月から翌年3月まで厦門領事,46年上海領事,55年広東領事を歴任。58年12月21日,初代の駐日総領事に任命された。安政6年5月26日(1859年6月26日),江戸湾に来航し着任,11月には公使に昇任した。文久2(1862)年春,一時帰国。元治1(1864)年3月帰任し,下関事件の解決に貢献した。11月26日召還命令に従い帰国。イギリスの対日政策の基礎を形作る一方で,『日本語文法』,『日本語会話』,『大君の都』(山口光朔訳,1962)を書く。65年清国公使,69年帰国した。<参考文献>A.Michie《TheEnglishmaninChinadur‐ ing the Victorian Era.》,増田毅『幕末期の英国人』

(内海孝)

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世界大百科事典 第2版の解説

オールコック【Rutherford Alcock】

1809‐97
幕末期の駐日イギリス公使。まず医師として出発したが,1844年に中国の福州領事に任命されたのを皮切りに外交畑に転じ,その後上海,広東の領事をへて,58年(安政5)に初代の駐日総領事となり,翌年江戸に着任,また同年初代の公使に昇格した。滞日中の活動のうち,もっとも記憶に残るのは,64年(元治1)の夏,日本の全支配層に攘夷の不可能なことを徹底させるべく,フランスアメリカオランダの3国の代表と語らい,四国連合艦隊による下関遠征を組織し,攘夷の先駆けをもって任じる長州藩を武力によって屈服させたことであろう。

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大辞林 第三版の解説

オールコック【Rutherford Alcock】

1809~1897) イギリスの外交官。駐日公使として、アメリカ公使ハリスに対抗し、幕末の日本で活躍。著に日本見聞録「大君の都」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オールコック
おーるこっく
Sir John Rutherford Alcock
(1809―1897)

幕末の駐日英国外交官。5月(日不明)ロンドン郊外イーリングに生まれる。外科医師となり、1832年から4年間英国軍医として各地に勤務、のち極東に関心を抱き、1844年清(しん)国に渡り、福州領事、上海(シャンハイ)領事を歴任。1858年12月21日駐日総領事に任命され、1859年6月26日(安政6年5月26日)江戸高輪(たかなわ)東禅寺に着任、同年12月1日(11月8日)駐日特命全権公使に昇格、列国公使の対日外交の主導的地位を占めた。1861年7月(文久元年5月)の第1回東禅寺事件など攘夷(じょうい)運動につき幕府にその制圧を求める一方、幕府の開市開港延期提案には同意し遣欧使節の派遣を勧告した。1862年3月(文久2年2月)賜暇帰国、1864年3月2日(文久4年1月24日)帰任、この年列国艦隊を率いて攘夷派の拠点長州を総攻撃したが、外相ジョン・ラッセルの承認が得られず12月24日(元治元年11月26日)解任され帰国した。1865年4月から1871年7月まで清国駐在特命全権公使を務め、退官帰国後は医事、文化、植民の業務に従い、1897年11月2日、ロンドンで死去した。日本見聞記に『The Capital of the Tycoon』(New York, 1863)がある。[金井 圓]
『山口光朔訳『大君の都――幕末日本滞在記』(岩波文庫)』

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世界大百科事典内のオールコックの言及

【馬関戦争】より

…また貿易も衰退し,生糸貿易は64年6月には事実上の停止状態にあった。ヨーロッパ列強の先頭に立ったイギリス公使オールコックは,列強の軍事力の圧倒的優位を示し,また貿易をとり戻すために,フランス,アメリカ,オランダを軍事行動に合意させた。イギリスのキューパー提督を総指揮官とする艦隊は,イギリス9隻,フランス3隻,オランダ4隻,アメリカ1隻を集め,総艦数17隻,砲288門,兵員5014名に達し,64年8月2日夜,豊後水道北の姫島沖に集結した。…

【ロシア軍艦対馬占領事件】より

…その間幕府は箱館奉行村垣範正を通じロシア領事ゴシケビチに退去交渉を行い,8月ビリリョフらは芋崎を退いた。一方,イギリスは前年対馬全島の測量をし,この事件に際しても公使オールコックが幕府に協力を申し出,7月には軍艦2隻を派遣してビリリョフに抗議するなど強く干渉した。これは列国の東アジア進出により対馬の戦略的位置が高まったためで,この事件はその端的な現れである。…

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