( 1 )①は氏族や集団の統率者に対する敬称「きみ」に美称の「おほ」を冠して、最上の身分、国家の元首たる天皇に対する敬称としたもので、身分の名称ではない。漢字として「王・大王」などをあて、皇族の男女の敬称「王、王女」等も「おほきみ」と読まれる。④の挙例「仏足石歌」の「死のおほきみ」は、漢語の「大王」の訓である。
( 2 )中古以降は③のように、親王(みこ)に対して諸王を「おほきみ」といい、また⑤⑥のように、身分のある人をも広く指して言うようになった。
江戸幕府が外交文書において将軍を表す語として用いた〈日本国大君〉の略称。3代将軍徳川家光のとき,朝鮮との国交修復に際し対馬藩主の宗氏が将軍の号を〈日本国王〉と改作した事件が起き,これを機に幕府は朝鮮に対し1636年(寛永13)来日の朝鮮通信使から〈日本国大君〉の称号を使用させた。以後6代将軍家宣のとき新井白石の建議で一時〈日本国王〉に変更されたが,8代将軍吉宗は大君を復活,幕末の日米和親条約以降欧米諸国との往復文書にも用いられ,1868年(明治1)天皇が外交権を接収するまで続いた。東アジアにおける国際秩序は中国を中心とする冊封体制がかなめになっていたが,古代以来日本は一定度独立の姿勢をとることが伝統となり,とくに朝鮮を蕃国・朝貢国とみる観念が早く成立していた。豊臣・徳川政権による天下一統は明帝国衰退のなかで行われたため,宗属関係の表現である〈国王〉がことに忌避され,日本を中心とする独自の国際秩序を志向し,この語を生んだ。
→日本国王
執筆者:朝尾 直弘
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江戸時代、徳川将軍の別称(殊号)として外交文書に用いた用語。1635年(寛永12)以降、朝鮮使節はこの別称を用いて「日本国大君」と記していたが、1711年(正徳1)6代将軍家宣(いえのぶ)側近の新井白石(あらいはくせき)が名分論の立場から『殊号事略』を著してその非を説き、これを廃止して「日本国王」に改めた(殊号事件)が、朝鮮側にも対馬(つしま)藩にも反対の意向があって、白石失脚後、旧に復した。幕末開国期には欧米諸国との交渉にあたり同じ別称が用いられ、オランダ語ではTijcoen、英語ではオールコックの日本見聞記『大君の都』の表題にもあるようにTycoonと書いて、天皇を意味するDairi(内裏(だいり))、Mikado(御門(みかど))と区別した。また、アメリカ英語で財界の大物を意味するtycoonの語源ともなった。
[金井 圓]
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江戸幕府が将軍を対外的に表現するときに用いた呼称。本来は中国で天子を意味する言葉だが,1636年(寛永13)朝鮮との外交関係で,将軍を示すものとしてはじめて用いられた。新井白石によって,朝鮮では王子の嫡子の称であることなどが問題とされ,一時「日本国王」に改められたが,8代将軍徳川吉宗のときに再び「日本国大君」に戻された。幕末期に欧米諸国に対して外交関係を結んだ際も,この呼称が用いられた。
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…事実,この時点で幕府内部では新たな政権構想が検討されていた。とくに奥祐筆所詰として慶喜の側近にあった西周(あまね)は,10月13日以降,新たな政権構想に関して慶喜と密接な交渉をもち,11月に〈議題草案〉として提出した構想(図参照)は,ヨーロッパの政治形態にならっていちおう三権分立のかたちをとるが,これまでの諸大名領はそのままとし,各藩それぞれの領国内の政治を議政院の立法の範囲で認め,軍事権は当面は諸大名がもつが,数年後は〈大君〉の中央政府へ統轄されるものとしている。この〈大君〉には慶喜がなり,各事務府の人事権は〈大君〉が握り,行政府の長としての〈大君〉は,上院の議長でもあり,下院の解散権ももち,両院でくいちがいがおこったときの裁定権も一手に掌握すると規定されている。…
…初めの3回は,朝鮮側は,宗氏の偽作した国書に対する〈回答〉と,〈文禄・慶長の役〉の際に日本に拉致された朝鮮人の〈刷還〉を名目としたため,こう呼んだ。〈柳川一件〉で対馬での国書偽作などの不正が明らかになったのを契機に,使節の名目は〈通信使〉に改められ,朝鮮側の国書の宛先も〈日本国大君〉に改められた。〈大君〉号は1711年(正徳1)の8回目に,新井白石の建議によって一度〈国王〉とされるが,その後再び〈大君〉にもどされた。…
…それとともに対馬の以酊庵に京都五山の僧を駐在させ,日朝外交文書を管掌させる(以酊庵輪番制)など,幕府が日朝関係を管理・統制する体制が強化された。また,朝鮮側の国書で徳川将軍を〈日本国大君〉と呼ばせ(従来は〈日本国王〉),日本側の国書に日本年号を使用するなど,国書の体裁が改められた。この改革は朝鮮にも容認され,翌年,その証しに通信使が来日して,近世的な日朝外交体制(大君外交体制)が定着・確立した。…
※「大君」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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