デジタル大辞泉
「外山亀太郎」の意味・読み・例文・類語
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外山亀太郎
とやまかめたろう
(1867―1918)
動物学者、遺伝学者。神奈川県の生まれ。1894年(明治27)東京帝国大学農科大学卒業。1896年福島県立蚕業学校長。1902年(明治35)タイへ養蚕指導のため出向、カイコの遺伝学的研究を行う。帰国後、蚕業試験場技師、東京帝国大学助教授を経て、1917年(大正6)に教授。メンデルの法則が再発見(1900)されたころ、カイコの遺伝研究により、動物界にもメンデルの法則が適用されることを、世界に先駆けて明らかにした(1906)。そのほか、カイコの斑紋(はんもん)、繭色、卵色などの遺伝に関する数々の論文があり、母性遺伝現象にも正しい解釈をもっていた。また一代雑種の利用が蚕業上有利なことに着目し、その普及に努力した。著書に『蚕種論』(1909)がある。1915年に学士院賞受賞。
[田島弥太郎]
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外山亀太郎
没年:大正7.3.29(1918)
生年:慶応3.9.26(1867.10.23)
明治大正期の遺伝学者,蚕種改良家。蚕を用いて世界で初めて動物でメンデルの法則を確認した。相模国(神奈川県)愛甲郡小鮎村生まれ。明治25(1892)年帝大農科大学を卒業。在学中に養蚕学教室で動物学の石川千代松の指導のもと,蚕の精子形成を研究し,33年その遺伝学的研究に着手する。主としてこの研究は農商務省の蚕業技師長としてシャム帝室養蚕研究所へ派遣されていた間(1902~05)に行われた。研究成果は39年の大学紀要で発表されており,メンデルの遺伝研究の価値の「再発見」(1900)からわずか6年という早さは高い評価の対象となっている。大学卒業後,同助手,水産講習所教師を勤めた。29年には福島県蚕業学校の校長となるが研究に熱中するあまり排斥運動を受け,32年には退職している。そのあとシャムへ渡り,帰国後の39年農学博士の学位を受け,41年帝大助教授,44年原蚕種製造所の技師(兼務)などを歴任。同年ヨーロッパの養蚕事情視察に赴き,大正1(1912)年帰国。同6年には東京帝大教授となる。このころから脊髄の病に侵され加療するが,効果なく52歳で他界した。著書『蚕種論』(1909)で蚕の1代雑種利用を提唱し,日本の蚕種業の発展に貢献,帝国発明協会から恩賜記念賞を贈られる。同4年学士院賞。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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外山 亀太郎
トヤマ カメタロウ
明治・大正期の遺伝学者,蚕種改良家 東京帝国大学教授。
- 生年
- 慶応3年9月26日(1867年)
- 没年
- 大正7(1918)年3月29日
- 出生地
- 相模国愛甲郡小鮎村(神奈川県)
- 学歴〔年〕
- 帝大農科大学(現・東大農学部)〔明治25年〕卒
- 学位〔年〕
- 農学博士〔明治39年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 帝国学士院賞〔大正4年〕,帝国発明協会有功賞〔大正15年〕
- 経歴
- 厚木の庄屋の息子。明治35年タイに養蚕指導に赴く。帰国後、41年帝大助教授となる。44年原蚕種製造所からヨーロッパに派遣され、各地を視察。大正6年東京帝大教授に就任。蚕の遺伝の研究を通して、世界にさきがけて昆虫の世界でも“メンデルの法則”が成り立つことを明らかにした。著書に「蚕種論」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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外山亀太郎 (とやまかめたろう)
生没年:1867-1918(慶応3-大正7)
遺伝学者。神奈川県厚木市郊外に生まれる。1894年帝国大学農科大学卒。福島の蚕業学校長,タイでの養蚕指導後,東京帝大助教授,教授を歴任。カイコを用いた細胞学的研究から出発し,産業界の要請もありカイコの品種改良にのり出す。これを通じてその遺伝を研究し,昆虫においてもメンデルの法則が成立することを世界で最初に発表(1906)。1915年学士院賞受賞。《蚕種論》(1909)は名著。
執筆者:鈴木 善次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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外山亀太郎 とやま-かめたろう
1867-1918 明治-大正時代の遺伝学者。
慶応3年9月26日生まれ。明治29年福島県蚕業学校長。タイの養蚕指導などに従事し,大正6年東京帝大教授。明治39年カイコの遺伝研究で動物にもメンデルの法則が適用できることを世界ではじめて実証。カイコの品種改良につとめた。大正4年学士院賞。大正7年3月29日死去。52歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。帝国大学卒。著作に「蚕種論」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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外山 亀太郎 (とやま かめたろう)
生年月日:1867年9月26日
明治時代;大正時代の遺伝学者。東京帝国大学教授
1918年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の外山亀太郎の言及
【一代雑種】より
…そこで,他殖性でしかも大量の交配種子のとれる動植物について,この方法がよく利用されてきた。日本ではカイコ(家蚕)について外山亀太郎が1906年に一代雑種の有利性を提唱,31年には実際の飼育の99.9%が一代雑種となった。作物でもトウモロコシの研究がアメリカで発展した。…
【カイコ(蚕)】より
…その結果,全繭重(けんじゆう),繭層重あるいは生糸量歩合(一定重量の繭からとれる生糸量の比率)といった,繭ならびに生糸生産にとって重要な形質が著しく向上した。一方,1906年外山亀太郎によって一代交雑種が有利なことが提唱され,14年以降これが実用化された。その後,現在まで農家が飼育するカイコはすべて一代交雑種が用いられている。…
【農学】より
…横井は初期には農学の実験的分野に関心を示したが,後に経営,経済に力を入れ,《塩水選種法》《稲作改良法》などの著書があり,酒勾には《改良日本稲作法》があり,ケルナーの弟子古在は,日本における農芸化学の祖ともいうべき農学者であり,公害研究の先駆者でもあった。養蚕では外山亀太郎が,メンデルとは独立にカイコにおける遺伝の法則や[雑種強勢]を見いだした。それと同時にそのころ,日本各地に諸作物の栽培,養蚕にかかわる優れた多くの農書(池田伴親《園芸果樹論》,福羽逸人《蔬菜栽培法》など)も著されている。…
※「外山亀太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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