フランスの作家、思想家。11月7日、当時フランスの植民地であったアルジェリアの旧コンスタンティーヌ県サン・ポール農場で生まれる。父親リュシアンLucien Auguste Camus(1885―1914)は農場労働者、母親カトリーヌ・サンテスCatherine Hélène Sintes(1882―1960)はスペイン系女性で耳が悪く、字が読めなかったという。1914年9月、父がマルヌの戦闘で死亡、アルベールは兄リュシアンLucien Jean Etienne Camus(1910―?)とともに、アルジェの労働者街ベルクール地区の母の実家に引き取られる。母は家政婦などをして実家の家計を助け、2人の子供を育てた。アルベールは厳しい生活苦と激しく美しい北アフリカの自然のなかで幼年時代を過ごすが、1918年公立小学校に入学、教師ジェルマンLouis Germainに出会う。この教師は教育に無理解なアルベールの家族を説いて給費生試験を受けさせ、高等中学校(リセ)に進学させた。1930年、高等中学校の哲学級に赴任してきた若き哲学者・作家ジャン・グルニエに才能を認められ、ド・リショーAndré de Richaud(1909―1968)の『苦悩』、グルニエ自身の『孤島』などを読んで文学に目を向けるようになった。グルニエとの師弟愛はアルジェ大学文学部に入学後さらに深くなり、生涯続いた。
しかし、アルベールの青春は、1930年多量の喀血(かっけつ)をし、医師に死を宣告されるほど重症の結核にかかったこと、1934年最初の結婚が妻のかけおちで破れたことなどによってきわめて暗いものとなった。彼は病身にもかかわらずさまざまなアルバイトをしながら『キリスト教形而上(けいじじょう)学とネオプラトニズム』と題した論文で1936年にアルジェ大学を卒業し、かたわら、労働座、仲間座で演劇活動を行い、一時共産党に入党したり、人民戦線時代の「文化会館」活動などによって彼なりの政治参加もした。さらに1938年以降、ピアPascal Pia(1903―1979)に協力、『アルジェ・レピュブリカン』紙、『ソワール・レピュブリカン』紙のジャーナリストとして人民戦線内閣を支持し、植民地主義の不正を暴く論陣を張った。文学活動としては、1936年に処女作の自伝的エッセイ『裏と表』、1939年に叙情的エッセイ『結婚』を少部数アルジェで出版したほか、失敗作に終わったが小説『幸福な死』も書いた。
1940年、カミュは反政府活動のゆえにアルジェリアを追放され、ピアの紹介で『パリ・ソワール』紙に職を得て本国に行き、そののち、対独敗戦、占領と続く動乱期をパリをはじめ各地を転々としながら、小説『異邦人』、哲学的エッセイ『シシフォスの神話』を執筆、人生にはそれ自体意味はないが、まさに意味がないからこそ、生きるに値するのだという「不条理」の哲学に若々しい表現を与えた。さらに1943年ごろから非合法紙『コンバ』の編集長としてレジスタンス運動に参加した。そして1944年8月、パリがドイツ軍による占領から解放されたとき、『異邦人』の作者で、輝かしいレジスタンスの新聞『コンバ』の若き編集長カミュは、「人と行動と作品のすばらしい出会い」(サルトル)を体現する、戦後世代の若き知性の英雄として、アルジェ時代とは対照的に、栄光の絶頂に上り詰める。『カリギュラ』(1944)、『誤解』(1944)の2戯曲は好評を博し、1945年には二度目の妻フランシーヌFrancine Camus(1914―1979)との間にジャンJean Camus(1945― )、カトリーヌCatherine Camus(1945― )の双生児をもうけた。
だが、サルトルと並び称された戦後のカミュの栄光は長くは続かなかった。1944年、F・モーリヤックとの間に対独協力派の粛清の是否をめぐって論争を行っていた彼は、やがて、やや軽率に旧体制に属する者たちの抹殺を是認した自己の判断に疑いを抱き、政治における暴力の問題で深刻な自己懐疑にとらえられてゆく。戦後の「冷戦時代」に、インドシナ、アルジェリアなどの植民地問題、フランスの政治体制の問題などにおいて、いっさいの政治的暴力の否定を唱えたカミュは、いわば時代の申し子から鬼っ子へと転落してゆく。すでに1946年には『コンバ』紙の編集長を辞し、暴力否定の新しい政治的モラルを論文『犠牲者も否、死刑執行者も否』、翌1947年に小説『ペスト』、戯曲『正義の人々』で表現する。革命ではなく反抗こそが社会を具体的な形で変革しうると説いた『反抗的人間』(1951)はこの時期のカミュの思想の総決算であったが、この本をめぐる有名なサルトルとの論争(1952)の結果、マルクス主義の影響の強かったフランスの思想界におけるカミュの孤立は決定的なものになる。さらに1954年から始まったアルジェリア戦争も、いくつかのむなしい介入の試みのあと、カミュの政治的無力感を際だたせるばかりであった。この時期の孤独は小説『転落』(1956)、『追放と王国』(1957)に色濃くにじみ出ている。1957年10月、「鋭い真摯(しんし)さをもって、今日、人間の意識に投げかけられる諸問題に光をあてた」功績によりノーベル文学賞を受けたが、フランスではこのニュースは冷ややかに受け取られた。だが1960年1月4日、パリ近郊で突然、交通事故による死亡の報が伝えられると、この「誠実な」作家の早すぎる死を嘆く声が高かった。
[西永良成 2015年5月19日]
『清水徹他訳『カミュ全集』全10巻(1972、1973・新潮社)』▽『西永良成著『評伝アルベール・カミュ』(1976・白水社)』▽『白井浩司著『アルベール・カミュ――その光と影』(1977・講談社)』▽『H・R・ロットマン著、大久保敏彦他訳『伝記アルベール・カミュ』(1982・清水弘文堂)』
フランスの作家。サルトルと並んで,第2次世界大戦直後のフランス文学を代表する存在。フランスの植民地だったアルジェリアの貧しい労働者の家に生まれ,大学で哲学を学んだ後,劇団を結成して演劇活動を行った。初期のエッセー集《裏と表》(1937),《結婚》(1939)は,地中海の風土にはぐくまれた感性に支えられ,生の喜びと苦悩を語った作品である。1938年,アルジェの新聞の記者となり,植民地行政を批判する多数の記事を書くが,ほどなく第2次世界大戦が勃発。こうした時期に書き進められたのが,一躍作家としてのカミュの地位を決定的にした小説《異邦人L'étranger》(1942),哲学的エッセー《シジフォスの神話Le mythe de Sisyphe》(1942)である。《異邦人》は理由なき殺人を犯して死刑の判決を受ける男を主人公に,〈不条理〉の思想を表明した作品であり,《シジフォスの神話》はそれを哲学的に解明しようとしたものである。戯曲《カリギュラCaligula》(1945初演)もまた同一線上にある。この間,彼は42年フランス本土に渡り,レジスタンス運動に参加。その体験を通じて,人間存在の不条理性に対する反抗から集団的な反抗の思想へと進み,それを主題とした小説《ペストLa pest》(1947),エッセー《反抗的人間L'hom-me révolté》(1951)を書き,後者をめぐってサルトルとの間に論争が行われることになった。その後のカミュは戦後の時代を生きる知識人としての苦悩を負いつづけながら,小説《転落》(1956),短編集《追放と王国》(1957)を書いたが,以前ほど大きな評価は得られなかった。そして57年,ノーベル文学賞を授与されたが,60年自動車事故のため死亡した。日本では,50年に初めて《ペスト》が翻訳紹介され,翌年には広津和郎と中村光夫のあいだに〈異邦人論争〉が行われて大きな反響を巻き起こした。その後も長く,戦後日本でもっとも愛読される外国作家の一人としての地位を保ってきた。
執筆者:滝田 文彦
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1913~60
フランスの作家。アルジェリア生まれであるが,1942年パリに出て反ナチス抵抗運動に参加し『コンバ』(闘争)紙の主筆となる。戦後『ペスト』で不条理の哲学を完成した。処女作は『異邦人』。
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…本来は〈非論理的な〉〈分別を欠いた〉〈ばかげた〉などを意味する一般的な言葉だが,フランスの作家A.カミュが《異邦人》《シジフォスの神話》(ともに1942)で,この言葉に独自の哲学的な意味をもたせ,第2次大戦後の世界に広く流通することになった。カミュによれば,〈不条理〉とは世界の属性でも人間の属性でもなく,人間に与えられた条件の根源的なあいまいさに由来する世界と人間との関係そのものであり,理解を拒絶するものと明晰な理解への願望との果てしない対決である。…
※「カミュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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