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カースルレー

百科事典マイペディアの解説

カースルレー

英国の政治家。本名Robert Stewart。アイルランド出身。アイルランド・イギリス議会の合同(1800年実現)に尽力。第2次ピット(小)内閣の植民相として外相カニングと対立。

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世界大百科事典 第2版の解説

カースルレー【Robert Stewart,Viscount Castlereagh】

1769‐1822
イギリスの政治家。ロンドンデリー侯の次男として北アイルランドに生まれる。ケンブリッジ大学卒業後,アイルランド議会の議員(1790‐94),イギリスの下院議員(1796‐97)を経て,アイルランド事務長官となり(1797),イギリス・アイルランド合同の実現に参画,合同後その議会に議席を占めた。その後ピットに認められ,とくに外交問題で頭角を現し,1807年陸軍・植民相となってナポレオン戦争遂行の任に当たったが,外相カニングと対立し,決闘の末,閣外に去った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カースルレー
かーするれー
Viscount Castlereagh, 2nd Marquis of Londonderry
(1769―1822)

イギリスの政治家。カースルレーは通称。本名はロバート・スチュアートRobert Stewartという。アイルランドに生まれる。イギリス本国の下院議員となった(1794)のちピット(小)内閣のアイルランド担当相(1798~1801)としてイギリス、アイルランドの合同実現に尽力した。その後歴代のトーリー党内閣でインド担当相、陸相を務め、1812年に外相となり、以後、下院の与党指導者として政策全般に参与した。外交では、ナポレオン以後のヨーロッパの安定のため、ウィーン会議でロシア、プロイセンの過大な要求を抑え、内政では1810年代後半の民衆運動の盛り上がりに対して抑圧的な政策を推進して、自由主義的な人々から反動派として激しく攻撃された。1821年父の後を継いで侯爵となったが、翌1822年政務に疲れて自殺した。[青木 康]

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