朝日日本歴史人物事典 「ガーディナー」の解説
ガーディナー
生年:1857.5.22
明治の日本で活躍したアメリカ人建築家。ミズーリ州セントルイスに生まれる。1875年ハーバード大学に入学したが2年で中退,ニューヨークやその周辺で働く。80年米国聖公会伝道局から東京築地の立教学校教師に指名され,同年10月来日した。築地の諸施設の不備に驚き,建築の専門教育を受けてはいないが元来建築に興味のあった彼はその建設と改善に努め,明治15(1882)年には立教学校校舎を,25年には神学校,聖三一大聖堂などを完成させた。以後,教育と併行して建築設計に従事し,活動範囲を築地のアメリカ人関係の建築から日本各地に広げていった。27年ハーバード大学の学部学位を取得,立教大学校教授となる。次第に建築活動が多くなり,37年伝道局を退いて建築事務所を開設,建築に専心した。建築以外にも幅広い趣味を持つ文化人でもあり,いくつかの協会やクラブの役員を務めた。追悼記事などの資料から実に多くの建築を手がけたことが知られるが,大半は現存せず,不明である。築地の聖路加病院で病没した彼の遺骨は,自身の設計による日光真光教会に埋葬されている。現存作品は,京都聖ヨハネ教会堂(明治村),スペイン大使館(東京),旧内田邸(横浜)など。<参考文献>博物館明治村『明治村建造物移築工事報告書5集 聖ヨハネ教会』,松波秀子「J.McD.Gardinerの来日までの経緯」(『日本建築学会大会学術講演梗概集』)
(松波秀子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報