キクラデス諸島(読み)キクラデスショトウ(その他表記)Kikládhes
Cyclades

デジタル大辞泉 「キクラデス諸島」の意味・読み・例文・類語

キクラデス‐しょとう〔‐シヨタウ〕【キクラデス諸島】

Kyklades》ギリシャ南部、エーゲ海にある諸島。アンドロス島・ミロス島ナクソス島など約220の島からなる。名は古代宗教の中心であったデロス島を環(キクロス)状に囲むことに由来ミロス島で発見されたビーナス像ミロのビーナス)は有名。キクラゼス諸島。シクラゼス諸島。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「キクラデス諸島」の意味・わかりやすい解説

キクラデス[諸島]
Kikládhes
Cyclades

古代名はキュクラデスKyklades。エーゲ海の南部,ペロポネソス半島の東方海域にあるギリシア領の島々。約210の島(そのうち面積10km2以上の島19)からなり,総面積約2700km2。地方主都はシロスSíros島のエルムポリスErmoúpolis。キクラデスの名は,島々がデロス島を中心にほぼ円(ギリシア語でキュクロスkyklos)状に散在すると考えられていたことに由来する。古代には諸島は森におおわれた肥沃な土地で〈ギリシアの真珠〉と呼ばれたが,濫伐のため現在では緑の乏しい瘦地となっている。住民は小規模な農業(果物,ブドウ,オリーブ,綿花,養蜂),漁業,牧畜,工業(皮革加工,織物,造船)などに従事する。鉱物資源にめぐまれ,大理石黒曜石,金剛砂,鉄鉱石,亜鉛,銀,マンガン,硫黄,軽石などを産する。おもな島には,アポロンとアルテミス誕生の聖地として全ギリシアの信仰を集めたデロス島,酒神ディオニュソスとクレタの王女アリアドネの神話と結びついた群島中で最大のナクソス島,ギリシアで最も美しい純白の大理石を産したパロス島,海上交通の中心地シロス島,黒曜石を産し,また《ミロビーナス》が発見されたミロス島,白壁の家と風車の島ミコノスMíkonos,火山島ティラThíra(サントリニ),その他アンドロスÁndros,ティノスTínos(テノス),シフノスSífnos,アモルゴスAmorgós,キトノスKíthnos,イオスÍos,セリフォスSérifos,ケアKéa(ケオス),シキノスSíkinosなどがある。

ギリシア,小アジア,クレタをつなぐ海のかけ橋として,航海上の要地を占め,新石器時代からすでに小アジア系の人々が住み着いた。彼らは前3000-前2000年の初期青銅器時代に,独特の文化,いわゆる〈キクラデス文明〉を発展させたが,前12世紀ころからギリシア人の侵入と移住が始まり,諸島の大部分はイオニア人,南部のミロス,ティラなどはドリス人の島となる。アルカイク時代にはナクソスが最も有力なポリスであった。前5世紀前半,諸島はデロス島に本拠を置く対ペルシア海上同盟(デロス同盟)に加盟して,アテナイの影響下にはいる。ヘレニズム時代にはマケドニアエジプトプトレマイオス朝)に従属し,デロス島は東地中海最大の貿易港,物資集散地として栄えた。前2世紀ころからキクラデス諸島は,ギリシア本土と同様に,ローマの属州に編入される。中世にはビザンティン帝国領となり,13世紀ころからはベネチア,16世紀からはトルコの支配を受けたが,1830年ころ,ギリシア本土とともに独立。現在島々はその風景美と雨の少ない温和な気候,多くの古代・中世の遺跡などによって,西欧諸国の人々の理想的な観光地・休養地となっている。

前3200-前1100年の青銅器時代,島の住民は農耕,漁業,牧畜などを営むほか,石,粘土,金属などで盛んに道具や工芸品を製作していた。とくに彼らが最も特色ある文化を発展させたのは,初期キクラデス期(前3200-前2000)である。ミロス島のペロス,パロス島のプラスティラスとカンポス,シロス島のカストリをはじめ,アモルゴス,ケア,ナクソス島など各地の墳墓からこの時期の遺品が多数発見されている。おもなものは,彼らの宗教あるいは地母神信仰に関係があると思われるバイオリン形の板状石偶,腕を組む裸体女性の石偶,ハープやフルートを演奏する楽師の石偶,渦巻,同心円,星形,矢羽根などの文様で飾られた平鍋形容器(通称〈フライパン〉),広口壺,水差し,杯などの陶器,カンデラ(脚付広胴の壺),ピュクシス(蓋付円形容器),鉢,皿などの石器,さらに青銅製の短剣,槍,のみ,針などがある。中期(前2000-前1600)・後期(前1600-前1100)キクラデス期には,クレタ島のミノス文明,ついでギリシア本土のミュケナイ文明の影響が強くなり,キクラデス独自の性格はしだいに失われていく。この時代のものとしてはティラ島のアクロティリ村付近の発掘により,後期ミノスⅠ期に属する前1500年ころの美しい大壁画や鳥,魚,植物を描いた陶器などが多数発見されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キクラデス諸島」の意味・わかりやすい解説

キクラデス諸島
きくらですしょとう
Kykládhes

ギリシア南東部、エーゲ海南部の諸島。アンドロス、ティノス、パロス、ミロス、ケア、ナクソスなど大小あわせて220の島々からなり、キクラデス県を構成する。県都はシロス島のエルムポリス。面積2572平方キロメートル、人口11万2800(2003推計)。その名称は、古代ギリシア人の宗教的中心であったデロス島を環(キクロス)状に囲むことに由来する。もっとも大きいナクソス島は、パロス島とともに古代から良質の大理石の産地として知られる。ミロス(ミロ)島の黒曜石、シフノス島の金や銀も重要であった。ミロス島で発見されたビーナス像(ルーブル美術館蔵)は有名である。

[真下とも子]

歴史

初期青銅器時代にはエーゲ世界で先進的役割を演じた。中期から後期青銅器時代にかけての重要な文化的拠点はミロス島のフィラコピ、ティラ(サントリン)島のアクロティリ、ケア島のアヤ・イリニである。歴史時代には主としてイオニア方言のギリシア人が定住し、ペルシア戦争後はアテネ海上同盟(いわゆるデロス同盟)に加盟して、アテネの支配に服した。ヘレニズム時代にはプトレマイオス王朝の対マケドニアの基地が各地に築かれ、のちローマ、ビザンティン帝国の支配を経て、13世紀からベネチアの勢力下にたち、15世紀後半からオスマン帝国に支配された。19世紀前半のギリシア独立戦争によってギリシア領となった(1832)。

[馬場恵二]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キクラデス諸島」の意味・わかりやすい解説

キクラデス諸島
キクラデスしょとう
Kikládhes

古代ギリシア語読みではキュクラデス Kyklades。ギリシア,エーゲ海南部にある島群。地体構造的にはギリシア本土の山地の延長で,ピンドス山脈,アティキ半島の山地から続く山地が沈降して形成された。ギリシア語で「円」を意味するキュクロスに由来する名が示すように,シロス島ないしデロス島を中心に円を描くように連なるアンドロス,ナクソス,パロス,シラ,ミロス,ケアなど 24のおもな島とそれらの周辺の小島から成る。青銅器時代に白い大理石の彫像で知られるキクラデス文明が栄え,古典期にはデロス島にデロス同盟の中枢部がおかれるなど,考古学的,歴史的に重要な島群である。果樹,コムギなどが栽培されるほか,小規模ながら金剛砂,大理石,鉄鉱,マンガン,硫黄,ボーキサイトなどを産し,ワイン,ブランデー,たばこ,皮革,陶器,工芸品を輸出。面積 2523km2。人口9万 5083 (1991推計) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のキクラデス諸島の言及

【エーゲ文明】より

…エーゲ海周辺地帯を主域として栄えた青銅器文明。キクラデス諸島,ギリシア本土の東部と南部,小アジアの西海岸からクレタ島やキプロス島をふくみ,前3000年(ないし前2800年)ころから前1200年ころにわたる。この文明は単一ではなく,また中心も範囲も変動するいくつかの文明からなるが,共通性をもつためエーゲ文明と一括される。…

【住居】より

…これは石灰岩の薄板を円錐形に積み上げたもので,白い外壁と黒っぽい屋根とがコントラストをなす。
[キクラデス諸島の2種のタイプ]
 エーゲ海のキクラデス諸島では少雨のため屋根はフラット(陸屋根)になる。住居は立地する地形に対応して,大きく二つのタイプに分かれる。…

※「キクラデス諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android