改訂新版 世界大百科事典 「キツネ」の意味・わかりやすい解説
キツネ (狐)
red fox
Vulpes vulpes
小型のイヌに似るが,体が細長く,四肢が短い食肉目イヌ科の哺乳類。吻(ふん)は細長くとがる。尾は太く,豊かな房毛(ふさげ)が生える。付け根近くの背面にスミレ腺と呼ばれる臭腺をもち,その部分の毛は黒い。尾の先端は白色か黒色。幅の広い大きな耳は長さ9cmに達し,先端がとがる。耳の背面と四肢の先は黒色。瞳孔は明るいところで収縮するとネコの瞳孔のように縦に細長い針状になる。体長70cm前後,尾長40cm前後。体重6~9kg。足跡は同大のイヌのそれよりも細長く,一直線上に並ぶ特徴がある。
ヨーロッパ,アジア,北アメリカに広く分布し,オーストラリアには移入された帰化動物として生息する。多くの亜種が区別され,日本には北海道にキタキツネ(体長約77cm,尾長約42cm),本州,四国,九州にホンドギツネ(体長約70cm,尾長約37cm)が生息する。体色は生息地や個体,季節などによってさまざまであるが,日本のものは赤褐色ないし黄褐色で,赤型の色相と呼ばれる。ヨーロッパとアジア北部には,白い差毛(さしげ)の少ない鮮やかな橙色の紅型が多く見られ,北ヨーロッパと北アメリカ北部にはメラニン化の進んだ全身黒色の黒型,さらに黒色の毛に白色の差毛が混ざった銀型なども見られる。また,シベリア,カナダには肩の部分に黒色の十字の斑紋のある十字型と呼ばれる色相の個体も見られる。毛皮としての価値は紅型,銀型などが高いとされ,20世紀初頭から飼育繁殖が行われている。飼育品種の白銀色のプラチナは,白色の差毛を著しく多く改良したものである。これらの色相はアカギツネ,クロギツネ,ギンギツネ,ジュウジギツネなどと呼ばれることがある。
生態
ふつう平地から標高1800mくらいまでの山地に多く見られるが,高山帯にもすみ,富士山の頂上に出没することもあるなど,生息域は広い。人家付近にもあんがい多くすんでいる。おもに夜活動する夜行性であるが,霧の深い日などは昼間も行動し,2~3km四方から7km四方程度の行動圏内を徘徊して食物をあさる。食物はおもにノネズミ類で,とくにハタネズミ,ヤチネズミ類を好む。ネズミを襲う際には,背のびをするように高く後脚で立ち上がり,上方からかかる独特の捕獲行動を見せる。大食で,1匹のキツネの胃から48匹のハタネズミが出てきた例がある。ほかに,ミミズ,カエル,カタツムリ,昆虫などの小動物から,大きな獲物ではノウサギ,キジ,ハクチョウなどまでとらえることがある。あまった獲物は穴を掘って埋め貯蔵する。貯蔵した獲物は食物が不足すると取り出して食べるが,貯蔵場所は1ヵ月以上の長期間にわたって正確に記憶している。秋には果実などの植物質もかなりの量を食べる。一方,天敵も多く,ワシ,タカ,フクロウ類のほかオオカミ,オオヤマネコなどがキツネをとらえる。利口で,猟犬に跡をつけられたりすると水に入ったり木に登るなどして姿をくらませたりする。鳴声はイヌよりも高く鋭い。
巣は地中にいくつかの巣室のある巣穴を自分で掘ってつくるのがふつうであるが,アナグマやアナウサギの巣穴を利用することや人家の縁の下を利用することなどもある。ふつうイヌやオオカミのような群れはつくらず単独でくらすが,交尾期には雌の巣穴に複数の雄が同居していることがあり,しばしば雄は雌の育児活動を助ける。また,ときに同じ巣穴で2匹の雌が子を生むこともある。この場合,一つの巣穴に10~13匹の子が見られる。交尾期は12月下旬から2月にかけての冬。雌は妊娠期間51~52日で,4月ころふつう1産3~5子,ときに6子以上を生む。子は閉眼で生まれ,黒褐色ないしくり色の毛で覆われている。誕生直後の子は体重100g前後のネズミ大。10日ほどで目が開く。約1ヵ月間巣の中で過ごしたあと,ほぼ親と同じ体色になって巣から姿を現し,巣穴の出入口近くで遊ぶようになる。固形食は,はじめ胃からはきもどした半ば消化したものを与えるが,やがて口にくわえて巣に運んできたものをそのまま与えるようになる。しばしば,雄が食物を巣に運ぶなど育児の手助けをする。子は夏の終りから秋まで親とともに過ごすが,しだいに1腹子相互の攻撃性が高まり,また,親の子に対する攻撃性も高まって分散する。冬には性的に成熟する。
近縁種
同属の近縁種には,チベットやネパールの標高4000mをこえる高所に生息し,著しく厚い毛皮をもつチベットスナギツネ,ザバイカルから中国東北部の北部,アフガニスタン北部までの砂漠にすむコサックギツネ,それに北アメリカのスイフトギツネなどがある。また,キツネの名がついているが,別属であるものに北アメリカのハイイロギツネ,北アフリカのフェネックギツネ,アフリカのオオミミギツネなどがある。なお,オーストラリアに生息するフクロギツネは有袋類である。
執筆者:今泉 吉晴
キツネの伝承
《説文解字》によると,キツネは妖怪の獣であるが,他方,三つの徳をもっており,色が中間色であること,体の前部が小さく後部が大きいこと,死ぬときは住んでいた丘に首を向けることだという。妖怪としてのキツネは,人間に化けて人をたぶらかしたり,火を発したりするとされ(《酉陽雑俎》巻十五などに記述),とくに魏・晋以降多くの伝説を生み,それが日本にも広がった。《鳥獣戯画》には,変化したキツネのさまざまの姿が見られる。色が黄色でそれが土の色であるところからキツネは穀神と結びつけられたようで,日本でキツネが稲荷神の使いとなったのもそれに由来するのであろう。ただし,この場合キツネは白狐(びやつこ)である。白狐は黒狐および九尾狐とともに瑞祥(ずいしよう)とされるが,黒狐や九尾狐の出現を凶兆とすることもある。《説文》のいう前小後大の形がなぜたたえられたのかは明りょうでないが,狐という漢字は鼻がとがりしっぽが太いその体型が瓜に似ているところからきたもので,瓜の形を貴んだのであろう。住んでいた丘に首を向けて死ぬのは,故郷を思う心を示すものとして中国では古来たたえられた。西方では古くギリシアの《イソップ物語》にキツネが多数登場するが,とくに目だつ性格づけはされていない。しかし中世の〈動物寓意譚(ベスティアリ)〉では,キツネは狡猾(こうかつ)な知者として説明されている。例えば空腹のとき,赤土の上に転がり血に塗れて死んだふりをし,鳥たちが寄ってきたとき,急に起き上がってつかまえて食べるといった類である。死にまねをしたキツネを棒にぶら下げて葬式行列をする場面は,キリスト教教会堂の床モザイクや壁の浮彫などにその例が少なくないが,キツネの狡知を表した別の図像に,聖職者の服装をしたキツネがニワトリたちに説教している場面があり,これは無知な人々を籠絡するペテン師を意味する。キツネは12世紀から14世紀にかけて流行したキツネを主人公とする動物話《狐物語》によって,とくに一般大衆になじみの深いものとなり,それが《イソップ物語》などとともに,教会堂浮彫や写本画において図像化された。
執筆者:柳 宗玄
日本
キツネはノウサギやノネズミの天敵として農民にとっては有益な獣であるが,世間的には人間をたぶらかす性悪の獣という印象が広まっている。これはキツネが農耕神としての稲荷の仮の姿,または使者であり,霊獣であるという信仰が衰微していき,他方,知識人の間では中国伝来の,キツネが女に化けて人をだますという〈金毛九尾狐〉などの話が広まり,さらに仏教系の神である荼枳尼天(だきにてん)などの信仰が加わって,その霊力がしだいに妖怪的な内容をもつとイメージされるようになった結果であり,中世以来の変化の現れといえる。それ以前には,文献上でも《日本霊異記》に記された狐直(きつねのあたい)のように,霊あるキツネが人の妻となって強力な子孫を残したという伝承が恥ずるところなく旧家のあかしとして語られた。このような話は,近世に至るまで安倍晴明の出自を語る〈信田(しのだ)妻〉の系統の伝説として各地の旧家に伝えられた。
遺跡として各地に残る狐塚,あるいは狐壇と呼ばれる場所は,古くからの水田地帯を見渡す高みにあり,昔の村人が稲作の神としてのキツネを祭った跡であろうと推定されている。近畿地方の一部に残る狐施行,あるいは狐狩りと呼ばれる,初冬にキツネの好む油揚げなどをやぶ陰などにまき歩く行事も,この狐神を饗応したなごりとも考えられている。後代にキツネを邪悪とする思想が広まると,このような霊狐を神使い,または村を守るキツネとし,人をだまし,または人にとりつくキツネはヤコ,あるいは人狐とかクダキツネなどと呼びわけ,後者は人の目につかない小型のものという考えも生まれた。これを広めたのは室町期から始まった飯綱(いづな)使いといわれる呪術者の一派ではないかと思われる。
キツネの霊力はその年の初めに当たって,その豊凶を住民に告げるとも考えられたので,東北地方では〈狐の館(たて)〉とか〈お作立て〉と称して,農耕開始のころ気温が高まって蜃気楼のような現象が見られるのを豊凶占いとした土地もあった。
現代のキツネ信仰は京都伏見稲荷と愛知県豊川稲荷との神仏2系統に大きく分かれるが,そのほか各地に独立の稲荷信仰の地方的中心があり,これを宣布して歩いた宗教者の痕跡を示す。ことに近世急速に発展した東日本の漁村では,農村と同じく漁業の豊凶を稲荷の使者としてのキツネに祈願する風習が広い。近世の民間薬としてキツネの胆が用いられ,頭骨が狂気治癒の祈禱(きとう)に用いられたのもキツネの霊獣視による。
→狐憑き
執筆者:千葉 徳爾
中国
中国では〈狐狸〉と書けばキツネのこと。〈狸〉は野猫またはジャコウネコの類で,日本でいうタヌキと同じではない。キツネはその毛皮が〈狐裘〉として貴重視されたこともあって,野獣の中でも人間との接触も多く,俗信,伝説,文芸の方面にもしきりに登場した。キツネは漢,唐の時代から民間では神として祭られ,わけても河北,山東などの北方では民間巫女の奉ずる神,または金もうけの神として信仰された。キツネをはじめ蛇,蝟(ハリネズミ),ネズミ,黄鼠狼(イタチ)など小動物の眷族(けんぞく)神があり,俗に五大家,五大門,五大仙などと総称する。なかでもキツネは別格で〈胡仙〉と呼ばれ,これを祭る小祠(しようし)も各地にあった。キツネは猜疑心(さいぎしん)が強くて〈狐疑〉の語があるが,それだけにまた狡猾で,ついには美女に化けて人間を魅惑すると信ぜられ,これを〈狐媚〉という。あるいはその霊が人について精神異常にさせる,これを〈狐祟〉という。いわゆる狐憑きである。俗説によると,キツネは劫(こう)を経るとどくろをいただき木の葉を身に着けて月を拝すると美女に化し,人間の男と交わってその精を摂取し,修練によってついに〈紫狐〉や〈天狐〉になるといわれる。それより美女のキツネと人間の男との交情談や婚姻譚が生まれ,民間の昔話にも日本の〈信田妻〉に似た〈狐狸精〉〈狐妻〉の話が少なくない。文芸作品でも唐代小説《任氏伝》や,近世では《聊斎志異》などに,キツネが美少女に化して勉学中の書生の部屋を訪れるという類の怪異談が数多くつくられたのである。
執筆者:沢田 瑞穂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報