稲荷信仰(読み)イナリシンコウ

デジタル大辞泉 「稲荷信仰」の意味・読み・例文・類語

いなり‐しんこう〔‐シンカウ〕【稲荷信仰】

稲荷神、および稲荷神社に対する信仰。田の神の信仰など稲作との結びつきが強く、後世は商売繁盛守り神ともされる。狐を稲荷神の使いとする俗信も加わって民間に広まった。

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精選版 日本国語大辞典 「稲荷信仰」の意味・読み・例文・類語

いなり‐しんこう‥シンカウ【稲荷信仰】

  1. 〘 名詞 〙 京都伏見稲荷大社中心とする信仰。中世から近世にかけて、田の神の信仰や、狐を神の使いとする信仰の上に、伏見稲荷大社を中心とする全国的な信仰組織が広がった。

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改訂新版 世界大百科事典 「稲荷信仰」の意味・わかりやすい解説

稲荷信仰 (いなりしんこう)

宗教法人で神社本庁所属の神社は全国で約8万社あるとされ,そのうちの約3万社,4割弱の神社が稲荷で占められている。その頂点にたつ神社が京都の伏見稲荷大社である。稲荷信仰の分布は全国的であるが,西日本よりも東日本の方が濃密であり,とくに関東地方では上記の数字に含まれない屋敷神としての稲荷がひじょうに多い。稲荷信仰の全国的普及は,おもに伏見稲荷をはじめとする宗教家の解説や宣伝によるものであり,一方ではそれを受容する民俗的な基盤もあった。その受容の基盤として,田の神およびその〈使女(つかわしめ)〉を狐とする信仰を指摘することができ,各地にみられる狐塚は本来田の神の祭場であったとされている。また稲荷と狐とを同一視する観念も支配的で,狐の鳴き方や食べ方で豊凶を占うことも少なくない。稲荷信仰を伝播させた宗教者としては,神社の社家や稲荷神と結びついている真言宗の僧はもちろん,民間の巫者・行者・祈禱師などが重要な存在である。とくに民間の宗教者は稲荷神を守護神としてまつり,稲荷下げ,稲荷降しと称される託宣を行うことが多い。また彼らはつきもの(憑物)落しでも活躍し,病気や不幸の原因が狐にあると判断し,それを回復させるために稲荷をまつるように指導する例もある。民間における稲荷神は農業・漁業・商業神としてまつられるほか,託宣神・つきもの・福神などさまざまな性格を付与されている。このうち民間宗教家が介在した稲荷は流行神(はやりがみ)的様相を帯びて広まることが多く,近世中・後期に江戸市中に広まった稲荷信仰はその典型である。このほか稲荷信仰では2月初午を祭日とすること,朱色の幟・旗・鳥居,正一位の神階,人名を冠した稲荷の呼称,伏見稲荷のお塚など特色ある信仰をみせている。
豊川稲荷 →伏見稲荷大社
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲荷信仰」の意味・わかりやすい解説

稲荷信仰
いなりしんこう

稲荷神および稲荷神社に対しての信仰。稲荷神を奉祀(ほうし)する稲荷神社は、全国津々浦々に及んでおり、『稲荷神社略記』によると、その数は3万0750余社に上るといわれている。これに個人の邸内に祀(まつ)られている稲荷社まで加えると相当数の稲荷神が奉祀されていることになり、稲荷信仰の広くて厚いことがわかる。稲荷信仰がこれほどまでに普及した事由として、(1)平安時代の初期に教王護国寺(東寺)と結び、その鎮守神として勢力を築き上げた京都の伏見(ふしみ)稲荷大社が、各地に信仰組織を形成していったこと、(2)「稲荷念持(ねんじ)」や「おだいさん」のような民間布教者が広めたこと、(3)民間の「田の神祭り」に乗じて広まっていったこと、などを掲げることができるが、とくに江戸時代の中ごろから飛躍的に発展をしたのは、総本社である伏見稲荷大社の分霊を各地に勧請(かんじょう)するという「稲荷勧請」が一段と盛行したからである。稲荷神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)といわれる。「うか」は「うけ」「け」と同意で食物を表すが、『大殿祭祝詞(おおとのほがいののりと)』に宇賀能美多麻(うかのみたま)を稲霊(いねのみたま)と注し、『神代紀』に「倉稲魂(うかのみたま)」とあるように、「うか」は主として稲をさしている。要するに、この神は稲の精霊が宗教的に高められて成立したものであろう。『山城国風土記(やましろのくにふどき)』逸文に、「伊禰奈利生(いねなりお)ひき」が「伊奈利社」の名となったとあるように、「いなり」は「稲生」「稲成」「飯成」とも書かれるが、一般に「稲荷」を用いており、その神像の多くも(にな)った農民の姿で表現されている。これは稲作に従事する農民の姿が、そのまま稲荷神の姿であるという生業即実相の思想によるもので、そこに稲荷信仰の救済の原理もあり、ひいては日本の伝統的な労働神聖の源泉をみいだすことができる。稲荷神の始原は稲、養蚕、食物の神であるが、中世から近世にかけて商工業が盛んになると、町屋へと拡大され、生産や商業の神ともなった。さらに仏家でも荼枳尼天(だきにてん)と習合して祀り、また、稲荷神の使いをキツネとする民間信仰が生じ、その信仰は亜流とはいえ、根強いものがある。

[三橋 健]

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百科事典マイペディア 「稲荷信仰」の意味・わかりやすい解説

稲荷信仰【いなりしんこう】

京都市の伏見稲荷大社を中心とした信仰。本来は倉稲魂(うかのみたま)神を主祭神とし,農耕の神で,里と山を往来していると信じられていた。平安奠都(てんと)の前後から東寺の守護神として,仏教の【だ】枳尼(だきに)天と習合し,諸願祈請の神と仰がれ,キツネをその霊獣とする信仰が生まれた。分社は全国に分布し,江戸時代には商売繁盛の神として庶民の信仰を集め,伏見のほか笠間稲荷(茨城)・祐徳稲荷神社(佐賀)・竹駒稲荷(宮城)・豊川稲荷(愛知)・最上稲荷(岡山)などが有名。
→関連項目初午鞴祭

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稲荷信仰」の意味・わかりやすい解説

稲荷信仰
いなりしんこう

京都市伏見区に鎮座する伏見稲荷大社のウカノミタマノオオカミ(宇迦之御魂大神)を中心とする信仰。イナリは稲生の意で,すべての食物と桑葉を司る神である。稲荷明神は弘法大師により教王護国寺(東寺)の鎮守として安置されたのが起源とされているが,京都では平安時代以降,朝廷と民間の尊崇を受け盛んに信仰された。一方地方では,田の神として勧請され,近世以降,一家の繁栄を祈って,家業の守り神として町内や邸内にまつることが流行した (→初午)。この田の神信仰と同時に,きつねを田の神の使者と考える俗信から,野狐(やこ)信仰と結びついたものも古くからある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「稲荷信仰」の解説

稲荷信仰
いなりしんこう

京都市伏見区に鎮座する伏見稲荷大社を中心とする信仰。祭神は宇賀魂命(うがのみたまのみこと)で,田の神とされ,狐を神使(しんし)とする信仰がある。もともと稲荷大社は山城国を中心に近畿一帯に繁栄した秦氏の氏神とされ,平安時代には教王護国寺(東寺)の鎮守として,その勢力を背景に広く崇拝され稲荷信仰も広まった。中世から近世には商業経済の発達にともない,農耕神から商売繁盛の神として各地に勧請された。信仰内容は多面的で一様でないが,穀霊神の性格が強く,関東・東北地方では稲荷を屋敷神として祭るところが多い。

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世界大百科事典(旧版)内の稲荷信仰の言及

【漁業】より

…いうまでもなく,えびすは漁民信仰の基底をなす。一方,農業神としての稲荷信仰が漁民の間にも,青森県方面をはじめかなり広く流布している。狐の鳴き方や供物の食べぐあいで豊凶を占うという。…

【初午】より

…2月初めの午の日,およびその日の行事をいう。全国的に稲荷信仰と結びついているが,旧暦の2月初午は農事開始のころにあたり,そのために農神の性格をもつ稲荷と結びつきやすかったのであろう。関東地方では稲荷講が盛んで,稲荷の祠に幟(のぼり)を立て油揚げや赤飯などを供えて祭り,参加者が飲食を共にしている。…

※「稲荷信仰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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