改訂新版 世界大百科事典 「キャベンディシュ」の意味・わかりやすい解説
キャベンディシュ
Henry Cavendish
生没年:1731-1810
イギリスの物理学者,化学者。父チャールズは第2代デボンシャー公の五男で,宮廷に仕えるとともにローヤル・ソサエティに属し,気象学などに興味をもち,自邸に実験室を設けて電気の実験なども行っていたことが知られている。ヘンリーはその長男で,ケンブリッジ大学に学び,能力についての高い評価を受けながらも,学位を取らずに1753年に大学を去った。当時の大学の学位取得に伴う宗教的手続きを忌避したためであろうと考えられている。以後,ロンドンの父の邸でその薫陶をうけながら研究生活に入り,60年にはローヤル・ソサエティの会員に選ばれた。
83年に父が死んでその遺産を継ぎ,クラパム・コモンに自分の邸を構え,そこに研究設備を整えたが,やがて手狭になり,ロンドンの別荘に実験室を移し,本邸は彼の所蔵する多くの学術書を公開して図書館にした。彼は恥ずかしがりで,人との交際を好まず,また極端な女嫌いで一生独身を通した。研究以外のことにはきわめて質素で,衣服も古風で定まったスタイルで通したといわれる。
彼が手がけた研究の範囲はきわめて広く,同時代のJ.ブラックやA.L.ラボアジエらとともに定量的な化学実験の方法を確立するのに大きく寄与した。彼は水素ガス(可燃空気)を発見,コプリー・メダルを受賞した1766年の論文《人工空気の実験》では,物質中に含まれ,人工的に放出させて弾性的にすることができる気体(人工空気と呼んだ)について論じ,これらの気体について可燃性,水溶性,比重を測定している。また84年の論文《空気に関する諸実験》では,酸素ガスに水素ガスを加えて電気火花で化合させると水滴を得ることから,水が化合物であることを定量的に示しているが,その説明はフロギストン説の立場から行っている。彼はまた窒素ガスと酸素ガスを電気火花で化合させて硝酸を得ている(1785)。ほかにも気体の熱学的実験や,電気に関する実験などを行ったが,論文として発表されたものは少なく,膨大な実験記録が彼の死後に残されていた。それらのうち化学に関するものが1839年に,静電気に関するものの一部分が67年に出版され,さらに電気の実験についてはJ.C.マクスウェルが注意深く実験を繰り返したのち79年に紹介したが,業績集は1921年にキャベンディシュ協会によって出版されるまで待たねばならなかった。それらの記録の中には,C.A.クーロンに先立って逆二乗の法則が発見されていたことをはじめ,多くの基礎的で重要な実験が含まれていた。また彼は地球の密度測定に取り組み,それまでのものを改良した精密測定用のねじりばかりを考案し,各地で測定して地球の平均密度を得る(1798)とともに,地下資源探査への道を開いた。彼は父と同じくローヤル・ソサエティの運営に関与しただけでなく,大英博物館の評議員を務めるなど,ロンドンを中心とした広い分野の科学的な活動に参加しており,またバーミンガムへ赴き,J.ワットと親交を求めるような側面もあった。
執筆者:川合 葉子
キャベンディシュ
Thomas Cavendish
生没年:1560-92
イギリスの航海者。キャンディシュCandishともいう。1585年リチャード・グレンビルの航海に加わり北アメリカのバージニアに渡る。86年F.ドレークにならって3隻の船でプリマスを出航,マゼラン海峡を回って世界周航に成功,88年帰国。途中カリフォルニア沖で2人の日本青年を助けて同行する。91年彼らを伴い再度東方を目指したが,翌年マゼラン海峡近くで僚船と離れ,南大西洋に没。
執筆者:越智 武臣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報