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ギリシア哲学 ギリシアてつがく philosophia Graeca; Greek philosophy

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ギリシア哲学
ギリシアてつがく
philosophia Graeca; Greek philosophy

前6世紀イオニアミレトスに起ったといわれるギリシア哲学ギリシア古典期とヘレニズム時代に大別され,さらに前者はソクラテス以前アテネの哲学に区分される。第1期の人々に共通な傾向は自然万有を説明する原理の追究であり,アリストテレスは彼らを自然学者と呼んでいる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ギリシアてつがく【ギリシア哲学】


[〈一者〉の追求]
 〈すべては水である,水こそ万物の始原(アルケーarchē)である〉というおおづかみな哲学をうち立てたタレスに始まって,煩瑣(はんさ)とも言いたくなるほどの細かい分析を得意にしたアリストテレスにいたるまでの期間はほぼ250年にすぎない。この短い期間にギリシアには多数の哲学が生まれ,多数の個性的な哲学者が輩出した。一つ一つの哲学はどれもそれぞれユニークであって,その多彩さに人は目くるめく思いに打たれるかもしれない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ギリシア哲学
ぎりしあてつがく

「哲学」を意味する語フィロソフィアーphilosophiaがもとは「愛知」を意味するギリシア語であったように、ヨーロッパ哲学は、紀元前6世紀から紀元後6世紀までギリシア本土を中心とする地中海の沿岸諸域に展開された古代ギリシア哲学にその淵源(えんげん)をもっている。ギリシア文明に先だつエジプトやバビロニアの文明において農耕、航海、建築などの技術はすでに高度の発展を遂げていたが、技術の成立する構造・仕組みを尋ね、これを成り立たしめているもっとも単純な要素stoicheion・原理archから理解しようとしたのはギリシア人であった。ここに測量術は幾何学geometriaとなり、占星術は天文学astronomiaとなって、いろいろの学問が成立した。これは、事物をすぐに利用しようとする実用の態度ではなく、事物を事物がそれ自身でもっている形と成り立ちにおいて眺めることを楽しむ観照(テオーリアーtheri)の態度によって生まれることであり、ここにギリシア人のロゴスlogos的な態度がある。
 事物のそれ自身の真実(アレーテイアaltheia)の姿を尋ねる、このテオーリアーの態度によって、およそ存在する限りのすべてのものについて、第一の原理を尋ねていく哲学(愛知)の道が生まれた。
 ギリシア哲学の歴史は、前古典期、古典期、後期古代の3期に分けられるが、プラトン、アリストテレス、プロティノスを除いて、この時代の哲学者の主要な著作はほとんど失われているため、後代の伝承に基づいて再構成された資料が多い。[加藤信朗]

前古典期(ソクラテス以前の哲学)

ギリシアにおける哲学的思索は、先進文明国であるアジアの諸国との接触が密接であった小アジアのイオニア植民市において、前6世紀のころに始まった。この時代の哲学者は、存在する事物の原理を、生成し消滅する存在者がそこから成り立っている第一の原理に求め、これを自然(ギリシア語でフィシスphysis、ラテン語でナトゥラnatura)とよんだ。自然とは、生成する事物がそのように生成するものとして、われわれの目の前にありありと現れている場合に、その「現れ」としての存在がそれに基づいて成り立っている、事物の「生まれ」であり「成り立ち」である。これによって事物は、われわれに隠された神秘な由来に基づいて、「神々からのもの」として理解されること(神学的・神秘的説明)をやめ、われわれにとって明白な存在においてその根拠を開示されるもの(哲学的・合理的説明)となった。タレス(前624ころ―前546ころ)はこの万物の「成り立ち」である自然を「水」であるとし、アナクシマンドロス(前610ころ―前546ころ)は「無限なもの」、アナクシメネス(前585ころ―前528ころ)は「空気」とした。これらは、万物がそこから生まれ出るという意味で万物の「生まれ」なのであった。
 これらの人々はミレトスの人なので、ミレトス派とよばれる。ピタゴラス派では、万物の「成り立ち」は事物を構成する形式的な原理である数に求められる。世界は相反する諸性質の間に生まれる数的な調和(=比例、ロゴス)である。ヘラクレイトスは、生成し消滅する存在者をその生成し消滅する過程の全体においてとらえようとした。それゆえ、存在者を成り立たせるものは同時にその反対の非存在でもあり、世界は相拮抗(きっこう)する相反者の間に成り立つ動的な調和としてとらえられる。これが世界の「ロゴス(ことば、構造)」である。
 エレアのパルメニデス(前515ころ―前445ころ)は、これまでの哲学者のように存在を感覚において現象するものとして把握するのをやめ、感覚的な現象の背後にその根拠として不変不動な存在が理性に対して示現していることを明らかにした。これこそが存在の真実性であり、感覚的現象は虚像にすぎない。ここに、感覚に現象する生成・消滅する事物の「成り立ち」としての「自然」を求めた最初の哲学者たち、すなわち自然学者(フィシオロゴイphysiologoi)とよばれる人々の思索は頓挫(とんざ)し、哲学は新たな端緒を求める。
 パルメニデス以後、ギリシアの哲学は、(1)パルメニデスの論理を追究し、運動の存在を否定した弁証論者(エレアのゼノン)、(2)パルメニデスに従い、根元存在の不変性を認めたうえで、これを多元化することによって、その相互関係の変化によって自然世界の多様性を救おうとした多元論者(エンペドクレス、アナクサゴラスたち。デモクリトスの原子論)、(3)自然学の伝統とは関係なく、ことばの機能を説得(魂の誘導)に置く弁論術の伝統に基づき、すべてのことばを人間存在に関係づけて理解し用いたソフィスト(プロタゴラス、ゴルギアス)、の3派に分かれ、低迷を続けた。[加藤信朗]

古典期(アテネ時代の哲学)

ギリシア哲学の新しい端緒はソクラテス(前469―前399)によって置かれた。ソクラテスは徳の問題を取り上げ、人間が善くなるのは何によってかを問い、ここに哲学の問題は、自然から人間と行為の根拠の問題に移る。ソクラテスは、このことを問うことに人間にとってもっともたいせつなことがあると考え、同じ市の人のだれかれとなく、行き会った人ごとにこれを尋ねた。この問いの行き着く帰結は、いつも、問われている当の人も、問うているソクラテスも、その答えを知らないということであった。しかし、人間が自分にとってもっともたいせつなこと(善)をまだ知らないということを悟り(無知の知)、これを尋ねることのうちに、人間にとってもっとも善いことがあるとソクラテスは知り、この探求を愛知(フィロソフィアー、哲学)とよんだ。それは、人間が自己を根拠づけている根拠へと、これをまだ知らないという無知の自覚を介して、向き直っていく魂の転回の道であった。
 ソクラテスの弟子プラトン(前427?―前347)は、魂の転回によって、人が魂の目をもって内に見うるものにこそ真実在があると考え、これをイデアideaとよんだ。これに反して、自己の外に、感覚を通じて触れうるものは、いつも生まれてくるとともに、いつも過ぎ去っていくもの、流動変化を免れない影のようなものである。見える感覚界から見えないイデアの世界に転向していく魂の動きが愛知(哲学)であり、イデアはこの魂の転回を可能ならしめる根拠である。プラトンはこれを論理的な構想力と詩的な想像力を駆使して、全実在界の構成に関する壮大な存在論の体系と、この実在界を遍歴する魂に関する雄渾(ゆうこん)なミュートスmythosとして表現した。しかし、愛知は、本来、体系の構想を目ざさず、究極なるものの直観に向かう。この究極知は、愛知者が相互に交わす問答を通じて、愛知の長い道行きののち、各自の魂の内に、いわば飛び火のようにして得られ、保たれるものである。
 プラトンの弟子アリストテレス(前384―前322)は、存在の現象が感覚的経験に与えられるとする点で、自然学者の立場に復帰した。そして、パルメニデスからプラトンまでの論理説を三段論法という形式として展開し、それを自然の諸領域における原理究明の方法論とした。こうして成立する学問が論証学である。今日の特殊科学の基礎はアリストテレスの置いたものである。イデアは外なる実在界の内に移し置かれ、自然物の運動を引き起こす原理としての事物の形相(エイドスeidos)となった。存在者は無形の素材にこの形相が働きかけて形成される。
 しかし愛知者の究知は自然の個々の領域の認識にとどまらず、すべて存在するものを根拠づけている究極の原理の認識に向けられる。これは「神」であり、愛知者の愛知も、また人間のすべての行為も究極においてはこの神の観照に定位され、これに根拠づけられているものである。行為の究極根拠を問うソクラテスの問いは、アリストテレスではこのような形で答えられ、このような形で倫理学と政治学の体系が構成される。[加藤信朗]

後期古代(ヘレニズム時代の哲学)

アレクサンドロス大王(在位前336~前323)によりギリシアの都市の自由が奪われてから、時代は、創造よりは整理、根源的思索よりは反省の時代に入った。生粋(きっすい)のギリシア人ではない人々が競ってギリシア風を模倣した時代には、古典時代の哲学者の著書の校訂、出版や注釈、解説が盛んに行われた。しかし保存はいつも反省を伴う。古典時代に展開された哲学の原理は、この時代に整理され、反省を加えられ、次代の思想を導く過渡的な形態をとった。
 これは、まず、実践の原理の反省としてなされる。ポリスの枠の外に投げ出された人間は、各人、自己の内に生きるための原理を求めた。種々の哲学派は「生きる術」を教えて互いに覇を競った。ストア学派は、ソクラテスの善の教えを徹底することによって厳格主義の倫理をつくり、エピクロス(前342/341―前271/270)は唯物論を代表して快楽にのみ善を求めた。アカデメイア学派は確かな認識を断念して、ただ探究の内に生きることのなかにプラトンの教えの真髄をみた。これらはすべて古典哲学の原理の一面的な強調であるが、同時にそれは、生きる原理という観点からする古代哲学の反省でもあった。このことは、これらの諸派ののちに、プラトン哲学の再興として、古代哲学の最後を飾る新プラトン学派についても同じくいえることであり、ここでは古代哲学の諸原理が、究極知に至る魂の道行き、または救済という観点で反省、総合され、救済の知としてのキリスト教へと導く道となっている。[加藤信朗]
『『岩波講座 哲学16 哲学の歴史』(1968・岩波書店) ▽W. K. C. Guthrie A History of Greek Philosophy, vol.1~6 (1962~81, Cambridge Univ. Press)  ▽A. H. Armstrong The Cambridge History of Later Greek and Early Medieval Philosophy (1967, Cambridge Univ. Press)』

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