改訂新版 世界大百科事典 「グロッス」の意味・わかりやすい解説
グロッス
George Grosz
生没年:1893-1959
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ドイツ生まれのアメリカの画家。ベルリンに生まれ、ドレスデンとベルリンの美術学校に学んだ。早くから風刺雑誌に作品を発表し、鋭い現実批判の目で第一次世界大戦中および戦後の社会状況をデッサン、版画、写真モンタージュなどの手法を駆使して告発する。1917年ベルリン・ダダに参加して思想的にはマルキシズムに歩み寄り、25年新即物主義に接近してリアリズムの傾向を強める。32年アート・ステューデンツ・リーグに招かれてアメリカに渡り、37年市民権を取得、晩年までニューヨークで活躍し、ベルリンで死去した。55年自伝『小さなイエスと大きなノー』を発表。
[野村太郎]
…19世紀末,ベルギーのJ.アンソールは群衆の存在を奇怪な仮面によって描写することで,彼の芸術を拒否する美術界を風刺している。 20世紀になり,ベルリン・ダダの中心人物G.グロッスは第1次大戦後,反軍国主義,反資本主義の思想を表明するために,〈政治的,破壊的な風刺〉に奉仕した。彼と共同制作をしたこともあるJ.ハートフィールドはフォトモンタージュ(モンタージュ)という武器によって,社会の不正やナチスの暴挙を告発し,第2次大戦後は東ドイツで活躍して,ブレヒトの戯曲などのために舞台意匠も手がけた。…
…20世紀初頭にベルリンのダダイストは,この大衆的娯楽の浸透に〈反芸術〉へのひそかな刺激を見いだしたのである。 ベルリン・ダダにおけるフォトモンタージュは,J.ハートフィールドとG.グロッス,R.ハウスマンとハンナ・ヘーヒHannah Höch(1889‐1978)という2組のグループによって別々に,ほとんど同時期につくりだされたと思われる。その萌芽は第1次大戦末期にあり,展開は1920年代の初めである。…
※「グロッス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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