ケストラー(英語表記)Koestler, Arthur

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ケストラー
Koestler, Arthur

[生]1905.9.5. ブダペスト
[没]1983.3.3. ロンドン
ハンガリー生れのイギリス小説家。ユダヤ系。ウィーン大学に学ぶ。新聞記者としてパレスチナ,ソ連におもむき,やがて共産党に入党。 1937年イギリスの新聞の特派員としてスペインに潜入,フランコ側の捕虜になり死刑の宣告を受けたが,イギリス政府の働きかけで釈放,この体験をルポルタージュ『スペインの遺書』 Spanish Testament (1937) に綴った。 38年共産党を離れ,40年イギリスに亡命して英語で作品を発表。ソ連の全体主義的傾向,政治裁判をきびしく批判した小説『真昼の暗黒』 Darkness at Noon (40) によって有名になった。ほかに,小説『夜の盗賊』 Thieves in the Night (46) ,評論集『ヨガ行者と人民委員』 The Yogi and the Commissar (45) ,自伝がある。

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百科事典マイペディアの解説

ケストラー

英国の小説家。ハンガリーのブダペスト生れ。1931年共産党に入党,スターリンによる〈大粛清〉のころ離党。代表作に政治小説《真昼の暗黒》(1940年),科学史科学論《創造活動の理論》(1964年)や《機械の中の幽霊》(1968年)。英国安楽死協会会長としてみずから安楽死を実践。

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世界大百科事典 第2版の解説

ケストラー【Arthur Koestler】

1905‐83
ブダペスト生れのイギリスの小説家,ジャーナリスト。ウィーン大学に学び,新聞社の通信員として中東を放浪。1931年共産党に入党,スペイン内戦では《ニューズ・クロニクル》の特派員として活躍,フランコ側に捕らえられ,このときの経験から《スペインの遺書》(1937)が生まれた。第2次大戦中もフランスで捕らえられ悲惨な獄中生活を経験,これを描いたのが《人間の屑》(1941)である。一方,38年,スターリンによる政治的裁判が行われているころ離党し,この裁判の被告心理を描いた《真昼の暗黒》(1940)で政治小説家としての地位を確立。

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大辞林 第三版の解説

ケストラー【Arthur Koestler】

1905~1983) イギリスの作家・ジャーナリスト。ブダペスト生まれ。「真昼の暗黒」でソビエト全体主義を批判した。科学論「機械の中の幽霊」ではホロンの概念を提唱。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ケストラー
けすとらー
Arthur Otto Koestler
(1905―1983)

イギリスの小説家、ジャーナリスト。ユダヤ系。ブダペスト生まれ。ウィーン大学に在学後、ウルフスタイン社の通信員として近東、パリなどに駐在した。1931年共産党入党。翌1932年訪ソ後ナチスを避けてパリに亡命。スペイン内戦では英紙の特派員として取材中、フランコ側に逮捕され死刑の宣告を受けたが、イギリス政府の尽力で釈放された。このルポルタージュが『スペインの遺書』(1937)である。1938年脱党、1941年来イギリスに住む。モスクワ裁判の高級党員被告が自己否定に至る意識構造を描いた『真昼の暗黒』(1940)で一躍有名となり、『参加と離党』(1943)、『行者と人民委員』(1945)など多くの政治小説を書いた。彼の作品の特徴は、政治的緊張の真っただ中に赴き、その中心的な問題をルポルタージュ風な形で提起する点にある。このほか自伝『空に放たれた矢』(1952)、『見えない書物』(1954)などを発表。『夢遊病者』(1959)あたりから東洋思想にも関心を深めたが、1983年妻とともに安楽死を実践した。[鈴木建三]
『平田次三郎訳『スペインの遺書』(1974・新泉社) ▽日高敏隆・長野敬訳『機械の中の幽霊』(1984・ぺりかん社)』

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