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ケンペル ケンペル Kämpfer, Engelbert

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ケンペル
ケンペル
Kämpfer, Engelbert

[生]1651.9.16. ウェストファリア,レムゴー
[没]1716.11.2. スタインホフ
ドイツの医者,博物学者。東洋研究を志し,オランダ東インド会社の船医となって 1689年バタビアに渡り,翌年,オランダ商館長となったアウトホールンに随行して長崎に赴任,元禄5 (1692) 年 10月まで2年余日本に滞在した。

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デジタル大辞泉の解説

ケンペル(Engelbert Kämpfer)

[1651~1716]ドイツの医学者。1690年、オランダ東インド会社の医師として来日、2年間滞在。日本の歴史・政治・社会・宗教・地理・動植物などを「日本誌」「江戸参府紀行」などに著述。

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百科事典マイペディアの解説

ケンペル

江戸時代のオランダ商館医,博物学者。ドイツ人。1686年オランダ東インド会社に船医として入社。1690年新商館長アウトホールンに従って来日,1692年まで在日。
→関連項目長崎路モンタヌス

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ケンペル Kämpfer, Engelbert

1651-1716 ドイツの博物学者,医師。
1651年9月16日生まれ。元禄(げんろく)3年(1690)長崎出島のオランダ商館長付医師として赴任。約2年間の滞日中に2回江戸参府に随行する。日本での地理,風俗,動植物などの観察記録をもとに「廻国(かいこく)奇観」「日本誌」をあらわした。1716年11月2日死去。65歳。レムゴー出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

ケンペル

没年:1716.11.2(1716.11.2)
生年:1651.9.16
江戸前期に来日したドイツ人旅行家,博物学者。レムゴーに牧師の子として生まれ,クラカウ,ケーニヒスベルク,ウプサラで博物学,医学などを修める。スウェーデン使節団に加わり,ロシア,ペルシャ各地を回ったが,ウプサラに戻って安定した地位を得るよりも「好奇心という病に突き動かされて」旅をする道を選び,オランダ東インド会社に就職。バタビア,シャムを経て元禄3(1690)年秋,長崎出島商館付医師として日本に到着した。滞日中は助手を使って精力的に日本研究,資料収集に励み,同5年に離日。翌々年モグサの研究などでライデン大学から学位を受け,故郷レムゴーに戻って結婚した。 私生活には恵まれず,生前はラテン語の『廻国奇観』を刊行したのみで,日本関係の遺稿は1727年に至って英訳本がまず刊行された。この『日本誌』は日本の社会,政治,宗教,動植物などを,自身のスケッチも交えて柔軟な眼で総合的に記述した画期的な著作で,例えば日本人との交渉の潤滑油として「袖の下」がいかに有効かといったことも,皮肉っぽく指摘している。仏訳,蘭訳次いでドイツ語原本も刊行され,その後のヨーロッパの日本観に決定的な影響をおよぼした。ヴォルテール,カントら同書を読んだ哲学者,文学者は数多い。志筑忠雄の『鎖国論』は,同書付録を訳出(1801)したもの。ケンペルが2度経験した江戸参府の紀行文も,各地の自然,風俗を鋭く観察し,日本人,日本社会を客観的かつユーモアたっぷりに描写して秀逸である。その日本コレクションは,のちに大英博物館創設時の基礎を成した。<参考文献>今井正訳『ケンペル日本誌』上下,小堀桂一郎『鎖国の思想』,ヨーゼフ・クライナー編『ケンペルのみたトクガワ・ジャパン』

(鳥井裕美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ケンペル【Engelbert Kaempfer】

1651‐1716
江戸中期に来日したドイツ人博物学者兼医者。ダンチヒクラクフ,ケーニヒスベルク,ウプサラなどの各大学で博物学および医学を修めたのち,スウェーデンの大使館書記官に採用され,ペルシア派遣使節に従って,ロシア経由でペルシアにおもむいた。この間,各地の博物および政治,地理,歴史などの知識を得た。さらに東方諸国に関心を抱き,1686年オランダ東インド会社に船医として入社,89年(元禄2)バタビアに着き,翌年,新日本商館長コルネリウス・アウトホールンに従って商館付医師の資格で日本に来朝,92年10月まで滞留した。

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大辞林 第三版の解説

ケンペル【Engelbert Kämpfer】

1651~1716) ドイツの医者・博物学者。1690年蘭館医として来日。日本の国情および動植物について観察や採集を行なった。92年離日。著「廻国奇観」「日本誌」など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ケンペル
けんぺる
Engelbert Kmpfer
(1651―1716)

ドイツの医者、博物学者。レムゴーに牧師の子として生まれ、ダンツィヒ、クラクフ、ケーニヒスベルク、ウプサラなどの大学で医学、博物学を修めた。スウェーデンのペルシア派遣使節の書記として1683年から1685年までペルシアに滞在、その国情を観察。さらに東洋研究を志し、オランダ東インド会社の船医となり、1689年バタビア(ジャカルタ)に赴き、1690年(元禄3)日本商館長オートホールンCornelis van Outhoorn(1635―1708)付き医師として来日、1692年10月まで滞在した。この間、1691年と1692年の2回、商館長の江戸参府に随行し、日本の歴史、社会、政治、宗教、動植物などを総合的に観察し、記録した。得意な絵筆をとって挿絵も準備した。帰国後、故郷レムゴーの領主の侍医となり、かたわら著述に励み、晩年はその完成と出版に没頭した。1712年に出版された『廻国奇観(かいこくきかん)』は西洋思想界に好評を博し、故郷に近いステインホフでその生涯を閉じた。著書『日本誌』は外国人による日本研究の白眉(はくび)とされ、そのなかの「鎖国論」などは早くから紹介され、日本の思想界に大きな影響を与えた。[片桐一男]
『ケンペル著、斎藤信訳『江戸参府旅行日記』(平凡社・東洋文庫)』

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世界大百科事典内のケンペルの言及

【紅茶】より

… 一方,茶樹の移植栽培をもっとも切望していたのは,最大の茶輸入国でかつ消費国であったイギリスである。18世紀中ごろにおけるヨーロッパ人の茶樹と茶栽培についての知識といえば,日本で17世紀末茶を観察し情報を集めたケンペルの記述に頼っていた程度で,茶は依然なぞに包まれた植物であった。1793年イギリスは初めて中国へジョージ・マカートニーを団長とする使節団を派遣したが,その目的の一つは中国の実情についての情報,とくに茶の栽培・製造に関する詳しい情報を集めることであった。…

【鎖国】より

…それは,江戸幕府が内外の情勢に対応して集権的な権力を確立する過程の一環として打ち出されたもので,日本列島が当時の世界交通の辺境である東北アジアにあり,大陸と海で隔てられているという地理的条件と,季節風と海流を利用した帆船の技術的条件によって,長期にわたる状態の固定が外部から支えられた。 〈鎖国〉の語は,1801年(享和1)長崎の通詞で著名な蘭学者でもあった志筑忠雄がケンペルの《日本誌》の一章を翻訳し〈鎖国論〉と題したときに始まる。ケンペルは鎖国状態のもたらす効用を肯定的に記述したのであったが,英訳からの重訳であるオランダ語版は,その是非を問う表題になっていた。…

【ドイツ】より

…だが江戸時代,長崎出島のオランダ商館にはすでにドイツ人が勤務しており,彼らと日本人との間に文化交流が生じていた。1635年(寛永12)来日した砲術家ブラウンHans Wolfgang Braunが平戸で臼砲を鋳造し,49年(慶安2)にはカスパルが外科医として江戸に招かれたのは,その初期の例であるが,日本の事情を広くヨーロッパに伝えた人物としてケンペルがいる。彼は1690年(元禄3)オランダ商館医師として来日,2年間の滞在の間に《日本誌》を著した。…

【日本誌】より

ケンペル著の日本風物誌。ドイツ語の原著は英訳本(1727)の50年後に出版。…

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