南アフリカ共和国南部の旧州名。南アフリカ連邦結成(1910)以前はイギリス領ケープ植民地。1993年末の暫定憲法の成立により、従来の4州は9州に再編され、ケープ州は北ケープ州、西ケープ州、東ケープ州の3州と北西州の西部地域に4分割された。アフリカ大陸最南西端部に位置し、ケープ半島の突端部には喜望峰がある。面積66万0770平方キロメートル、人口1094万4500(1995)。人口の人種別構成は白人138万、カラード(混血)296万、インド人5万3300、黒人655万となっている。州都はケープ・タウン(3分割された1993年以降は西ケープ州の州都である)。
地勢は大別して四つに分かれ、海岸部の幅16キロメートル以内のサンドベルト地帯、内陸はランゲベルグ山脈、スワルトベルグ山脈を境としてその南側がリトル・カルー、北側がグレート・カルーとよばれる乾燥した内陸高地となっている。さらにオレンジ川北側のフライブルグおよびクールマン地域はカラハリ砂漠に続く乾燥地帯である。河川は、北の国境をなすモロポ川、オレンジ川が東から西に流れて大西洋に注ぐほかは、ほとんど内陸高地からインド洋に向かい、西からブレード川、ゴーリッツ川、フロート・ガムツー川、サンズ川、グレート・フィッシュ川、グレート・ケイ川、ウムチムクル川などがある。海岸部、とくに南西部(ケープ・タウン付近)は冬期(4~9月)に雨が多く農業に適するが、内陸部は降雨が少ないため牧羊が盛んである。主要農産物はトウモロコシ、小麦、柑橘(かんきつ)類、ブドウ、タバコなどである。鉱産資源では自由州(旧オレンジ自由国州)に接するグリクァランド・ウェストのキンバリーを産地とするダイヤモンドが知られ、ほかに銅、マンガン、アスベスト、鉄鉱石を産する。旧ケープ州は炭田が少ないため工業化は遅れ、農産物加工を中心とする軽工業が発達したにすぎないが、ケープ・タウン、ポート・エリザベス、イースト・ロンドンは港湾都市として重要である。
1652年オランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックが東洋航路への寄港地として入植し、東インド会社の支配時代が続いた。この時代に、オランダ人と先住民コイ、マレー系奴隷との混血が進み、いわゆるカラードが形成された。1795年と1806年にイギリスがケープを占領、1814年正式にイギリス領ケープ植民地とし、以後イギリスからの入植者が増加した。入植者の増加とともに白人は土地を求めて内陸東側に侵攻した。一方、イギリスの支配を嫌ったオランダ人(ブーア人)たちは1835年内陸に移動し、トランスバール共和国とオレンジ自由国を建国した。19世紀後半オレンジ自由国のキンバリーでダイヤモンドの富鉱が発見されると、イギリスはただちに割譲を要求した。さらにトランスバール共和国のウィトワーテルスランドでの金鉱発見を契機に、イギリスがその割譲を要求したため第二次ブーア戦争(1899~1902)を引き起こした。戦後1910年ナタール植民地を加えて南アフリカ連邦が結成され、ケープはその一州となった。
[林 晃史]
ベル形の、袖(そで)のない緩やかな外衣、あるいは首から肩を覆うように垂れ下がった、服の一部。ラテン語の頭を意味するcaputに由来する語。日本語の合羽(かっぱ)はポルトガル語のcàpaの当て字。
ケープはすでに紀元前3000年ごろのバビロニアの浮彫りの婦人像にみることができる。楕円(だえん)形の布の中央をくりぬいただけのものや、長方形の布を両肩に掛けて前で結んだり両肩ではいだものがあり、上流階級の婦人が、薄い亜麻布などのものを装飾的に用いたものと思われる。
15、16世紀には、円形でフードのない男子用のスペイン式ケープが用いられた。裏や縁(ふち)に毛皮をあしらった豪華なもので、長さもいろいろあった。このケープは17世紀に男子の盛装の外衣として用いられた。ルイ13世時代のものは正円で膝上(ひざうえ)までの短いものであった。このころの女子の冬の外衣として、大形のパニエの上にケープ式コートが着用された。フリルやレース飾りや毛皮の縁どりのあるビロード製、あるいはレース製のもので、大形のものには左右に手出し口(ぐち)がついていた。1730年代に、西欧の男性の間でコートの上に(ビロードの)ケープを羽織ることが流行した。1830年代にはケープは防寒用衣服となるが、このころケープ式の外衣、マンテイラが出現して長い間流行した。以後、ケープは装飾的色彩の濃い衣服として残っている。
日本では、1903年(明治36)の太陽舍刊『洋服裁縫教科書』に「ケエプスは其(その)形状すべて此廻(このまわし)(三分(さんぶ)廻し、半円(はんまる)廻し、イスパニア廻しなど)と同一なるが故に」との記述があるが、当時は「マント」のほうに押されて、「ケープ」という語はあまり用いられなかった。
ケープには、使用目的、構成、形態、人名、地名などを名に冠した種々のものがある。スポーティング・ケープ、ハーフサーキュラー・ケープ、ギャザード・ケープ、パラティン、アルスター・ケープなどがその例である。現在のケープは、主として婦人と子供の防寒および装飾用であり、ケープを組み合わせたケープ・ドレス、ケープのついたケープ・コート、ケープ風のケープ・カラーもある。
[田村芳子]
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袖なしの円形の外衣で,肩から足首までのさまざまの着丈のものがあり,フードをつけることもある。外套,雨具として男女,子どもに着用されてきた。起源は古く,最古の遺品としてはデンマークのボルム・エシェイから青銅器時代の毛織物製半円形の外衣が発掘されている。ケープが流行したのは16世紀スペインで,男子がダブレットという上衣の上に黒い絹製の短いケープを着用した。その後西欧に伝播し,17世紀には黒以外の色のものも見られた。18世紀末から19世紀にかけて大流行し,文学者,法律家,官吏,御者など広い階層に用いられた。女性はクリノリン・スタイルの上に着た。日本には16世紀にポルトガル人によってもたらされ,上杉謙信などの武将が用いた。後に合羽として庶民に普及した。
執筆者:池田 孝江
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…海に突出した陸地の先端部。成因としては,山稜が沈水した場合や,硬い岩石からなるため波の浸食に抗して形成される場合が多い。また砂の堆積で突出する砂嘴(さし)の岬もある。瀬戸内海の岬の多くは沈水山稜タイプであり,太平洋に突出する犬吠埼(いぬぼうさき),伊良湖岬(いらごみさき)などは硬岩タイプである。また北海道の野付崎(のつけざき),神戸の和田岬などは砂嘴タイプである。岬を示す用語としては,岬,崎,埼,碕のほかに角,鼻などがある。…
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