ゲルニカ(読み)げるにか(英語表記)Guernica

翻訳|Guernica

デジタル大辞泉 「ゲルニカ」の意味・読み・例文・類語

ゲルニカ(Guernica)

スペインバスク地方の小都市。スペイン内戦中の1937年、ドイツ空軍爆撃受け多くの死傷者を出した。
の爆撃の悲劇を象徴的に描いたピカソの作品。縦約3.5メートル、横約7.8メートル。無彩色で、雄牛や馬、泣き叫ぶ女性などが描かれている。

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精選版 日本国語大辞典 「ゲルニカ」の意味・読み・例文・類語

ゲルニカ

  1. ( [スペイン語] Guernica )
  2. [ 一 ] スペイン、バスク地方の小都市。一九三七年四月、ドイツ空軍の爆撃により市民多数が死亡
  3. [ 二 ] スペインの画家ピカソの代表的絵画[ 一 ]の爆撃の悲劇を象徴的に描いた大作。一九三七年作。スペイン、プラド美術館蔵。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲルニカ」の意味・わかりやすい解説

ゲルニカ(絵画)
げるにか
Guernica

スペインの画家ピカソの大作(349.3センチメートル×776.6センチメートル)。スペイン内戦中の1937年4月26日、フランコ側を支援するナチス・ドイツの空軍が、バスク地方の自治と統一を象徴する町ゲルニカを爆撃した。同年夏のパリ万国博スペイン館の壁画を共和政府から依頼されていたピカソは、この事件に強烈に反応し、5月1日に構想を練り始め6月4日に完成した。しかしピカソは、ゲルニカには直接言及せず、この、愛する祖国惨禍を、スペイン人の深層心理に根ざした闘牛の象徴性に託し、キュビスムが可能とした破壊的なフォルムと、黒、白、灰色という悲劇的な色調で描き、『ゲルニカ』に時空を超えたヒューマニスティックなメッセージを与えた。闘牛の象徴性に関しては、牡牛(おうし)をファシズム、馬を抑圧される人民とするアングロサクソン系の解釈と、前者人民戦線、後者をフランコ主義ととるスペイン系の解釈がある。この作品はその後ニューヨーク近代美術館に展示されていたが、81年、63点のデッサンや関連作とともに初めてスペインに帰り、ピカソの遺言に従って、マドリードのプラド美術館付属の19世紀館に展示されたが、92年ソフィア王妃芸術センターに移った。

神吉敬三


ゲルニカ(スペイン)
げるにか
Guernica y Luno

スペイン北部、バスク地方ビスカヤ県にある町。人口1万5264(2001)。ビスケー(スペイン語名ビスカヤ)湾に注ぐムンダカ川の谷に14世紀の中ごろ建設され、1876年までバスク人の議会が支配していた。1937年4月26日、スペイン内戦中にドイツ空軍の爆撃を受けた。これをテーマに描いたピカソの絵画『ゲルニカ』によって世界的にその名が知られるようになった。

[田辺 裕・滝沢由美子]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゲルニカ」の解説

ゲルニカ
Guernica

スペイン北部バスク地方の都市名。スペイン内戦下の1937年4月26日,反乱軍を支持するドイツ空軍コンドル部隊とイタリア空軍による爆撃,機銃掃射を受け,少なくとも1600名の死者が出たとされる。ピカソは爆撃への抗議をこめて,同年開催されたパリ万国博覧会スペイン館展示用に「ゲルニカ」と冠した壁画を描いた。フランコ体制下「ゲルニカ」はピカソの意志によりニューヨーク近代美術館に寄託されていたが,81年スペインへ返還された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ゲルニカ」の意味・わかりやすい解説

ゲルニカ
Guernica

スペイン北部,バスク地方ビスカヤ県の町。人口1万7271(1978)。ビスカヤ領の主都であった所で,中世カスティリャ王国の国王は,この町にある樫の木の下でビスカヤ領の特権擁護を宣誓した。平穏なこの町が,スペイン内戦でドイツ空軍の爆撃により破壊された(1937年4月26日)悲劇は,ピカソの同名の絵画により知られる。現在は再建され,フランコ体制時代に工業が急激に発展した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲルニカ」の意味・わかりやすい解説

ゲルニカ
Guernica

P.ピカソの代表作の一つとされる絵画。ゲルニカはスペイン北部バスク地方にある古い町で,スペイン内乱下の 1937年4月 26日,フランコ将軍を援助するナチス・ドイツ空軍の大編隊がこの無防備な町に無差別爆撃を加えた。同年のパリ万国博覧会のスペイン共和国館に壁画制作を依頼されていたピカソは,この祖国の悲報に接するや,ただちにパリのアトリエでこの壁画の制作を開始し,約1月半の短期間で縦 3.45m,横 7.7mの大画面を完成,『ゲルニカ』と命名した。 39年から 81年までニューヨーク近代美術館に収蔵,81年9月スペインに返還され,プラド美術館に展示されていたが,のちに国立ソフィア王妃芸術センターに移された。

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百科事典マイペディア 「ゲルニカ」の意味・わかりやすい解説

ゲルニカ

スペイン北部,ビスケー湾岸に近いバスク地方の町。ビルバオの東方20kmに位置。スペイン内乱中の1937年ドイツ軍機などの無差別爆撃で一時全滅。同年ピカソがファシズムへの怒りをこめて描いた大作《ゲルニカ》(351cm×782.5cm)は有名。約1万6200人(1995)。

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デジタル大辞泉プラス 「ゲルニカ」の解説

ゲルニカ

スペインの画家パブロ・ピカソの絵画(1937)。原題《Guernica》。カンバス、油彩。縦3.5メートル、横7.8メートル。スペイン内戦時、バスク地方の小都市ゲルニカをドイツ空軍が無差別爆撃したという惨禍を主題にしたもの。マドリード、ソフィア王妃芸術センター所蔵。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ゲルニカ」の解説

ゲルニカ
Guernica

スペイン出身の画家ピカソの作品
スペイン内戦初期の1937年4月26日,バスク地方の小都市ゲルニカをドイツ空軍が無差別爆撃したことを告発するために製作。ピカソの代表作。

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世界大百科事典(旧版)内のゲルニカの言及

【スペイン内乱】より

…これらは一様にスペイン文化を評価し,さらに共和国陣営からの見聞であった。詩人ガルシア・ロルカの暗殺に関するセンセーショナルな話題の流布,ピカソの《ゲルニカ》をめぐる神話の創造などもこれにあたる。(5)諸外国の援助が戦いを長期化させた。…

※「ゲルニカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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