ロシアの経済学者。景気循環、農業問題の研究者。コストロマ県ガルイェフスカヤ村の農家に生まれる。1915年にペテルブルグ大学法学部卒業、1917年に食糧副大臣就任。1917年の十月革命(ロシア革命)を経て、1918年にティミリャーゼフ記念農科大学教授、1920年に同大学付属の景気研究所(1923年より財務人民委員部、1928年より中央統計局の所管)を創設し、景気循環に関する世界有数の研究所に育てる。
後に「コンドラチェフの波」として知られる、47年から60年程度を周期とする景気の長波(long wave)の存在を主張したことで有名。しかし、この主張が資本主義の再生を予告する反革命的な見立てとなったことで、当時の社会主義体制のソ連にとっては不都合な存在となる。スターリン時代のソ連における農場の集団経営政策に対する反対活動で1930年に逮捕され、1932年に有罪判決を受け、1938年に処刑された(この判決は1987年に取り消され、名誉回復した)。
こうした社会情勢のなか、コンドラチェフの波が将来も繰り返すとの見解に関しては、これまでみられた景気変動は金の産出量の増加や新大陸の発見などがもたらした偶然によって発生した動きであるなどの激しい批判を浴びた。しかし、コンドラチェフ自身は、社会インフラ(基盤)の拡張や更新投資が動因であり将来も循環が継続する可能性を示唆し、またコンドラチェフの波を広く紹介した経済学者J・A・シュンペーターは、イノベーション(技術革新)を長波の上昇要因とし、それに先だつ大不況が積極的な研究開発等のトリガー(引き金)となり得ると、動因が内在する循環性の議論に道を開いた。
ただ、オイル・ショック後のコンドラチェフの波のリバイバル・ブームが、長期大不況到来の不安を必要以上にあおるセンセーショナルな面があったことで、その後に研究者を遠ざけさせた感がある。
これらの経緯から、コンドラチェフの波よりも短期の景気循環については、キッチン循環(約40か月周期)、ジュグラー循環(約10年周期)、クズネッツ循環(約20年周期)などと「循環」を付してよばれるのに対し、半世紀前後の景気波動はいまだコンドラチェフの「波」、あるいは単に「長波(long wave)」とよばれることが多い。
リーマン・ショック(2008)後の経済の長期停滞や、国家間の覇権争いとの関連で、コンドラチェフの波は改めて注目されている。
[木野内栄治 2020年6月23日]
『中村丈夫編『コンドラチエフ長期波動論』(1978・亜紀書房)』▽『ヴィンセント・バーネット著、岡田光正訳『コンドラチェフと経済発展の動学――コンドラチェフの生涯と経済思想』(2002・世界書院)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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