ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
コーチシナ
Cochin China
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漢字では「交趾支那(こうちしな)」をあてるが、この地名がさす地理的範囲は時代によって異なる。その起源は、16世紀初めポルトガル人が極東に進出したのち、ベトナムの古名が交趾(こうち)であることから、インドのポルトガル領コーチンCochinと区別するために使い始めたものと思われ、当初は黎(れい)朝治下の北ベトナムをさした。17世紀初年、鄭(てい)、阮(げん)両氏の対立抗争が始まると、コーチシナは阮氏の支配するベトナム中部をさすようになり、阮氏勢力の南下に伴い、南ベトナムをも含めてさすようになった。その範囲は、ほぼ明(みん)・清(しん)時代中国商人のいう「広南国」、日本御朱印船商人のいう「交趾国」または「河内(こうち)国」にあたる。これに対して、鄭氏勢力下の北ベトナムは中国、日本商人から「東京(トンキン)」とよばれ、ポルトガル、オランダの商人もこれに倣ってトンキンとよんだ。19世紀の80年代からフランスが阮朝治下のベトナムに対する保護権を行使するに及び、ベトナム北部はトンカンTonkin、中部はアンナムAnnam、南部はコシャンシーヌCochinchineとよばれるようになり、トンカンは保護領、アンナムは保護国、コシャンシーヌは植民地として、カンボジア、ラオスとともにフランス領インドシナを形成することとなった。こうして、フランス時代(1887~1945)を通じてコシャンシーヌ(コーチシナ)はもっぱら南ベトナムをさした。
[陳 荊 和]
アウトサイド・コーナー outside corner 打者から見て本塁上の遠い側。外角。和製英語ではアウトコーナーともいう。アシスト assist打者が打った球を捕球後にある塁に送球し走者の刺殺を間接...
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