コープランド

百科事典マイペディアの解説

コープランド

米国の作曲家。ユダヤ系ロシア移民を両親にニューヨークに生まれる。1921年パリでN.ブーランジェらに師事し,またスペインの大演奏家R.ビニェス〔1875-1943〕にピアノを学ぶ。《オルガンと管弦楽のための交響曲》(1924年。1928年に《交響曲第1番》として改訂)で米国楽壇の注目を浴び,クーセビツキーなどと交流。ジャズの語法を取り入れた《ピアノ協奏曲》(1926年)などの不協和音の多い前衛的作風が話題をまく。1930年代に入り,一般聴衆との接点を求め作風を転換。友人チャベスの指揮で初演された管弦楽曲エル・サロン・メヒコ》(1933年−1936年)で一躍名声を高め,親交の深かったM.グレアムのバレエ団によって上演された《アパラチアの春》(1944年)などのバレエ音楽で米国作曲界の第一人者と目されるに至った。代表作にはほかに,バレエ・リュッス・ド・モンテ・カルロの委嘱によるバレエ音楽《ロデオ》(1942年),ベニー・グッドマンの委嘱による《クラリネット協奏曲》(1947年−1948年),《交響曲第3番》(1944年−1946年)などがある。→ヒナステラ
→関連項目バレエ・リュッス・ド・モンテ・カルロ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

コープランド Copeland, William

1834-1902 アメリカのビール製造技師。
1834年1月11日ノルウェー生まれ。元治(げんじ)元年(1864)来日。明治2年ごろ横浜居留地にビール工場スプリング-バレー-ブルワリー(清水谷醸造所)を設立。居留地の外国人などに愛飲されたが,18年工場を譲渡した。明治35年2月11日横浜で死去。68歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

コープランド

没年:1902.2.11(1902.2.11)
生年:1834.1.10
幕末に来日したアメリカのビール醸造業者。ノルウェー生まれ。ビール醸造を志し米国に渡り,米国籍を取得。元治1(1864)年10月10日来日し,横浜で牛乳販売と運送業を共同で経営する。慶応3(1867)年独立し荷馬車運送業を始め,明治2(1869)年山手に2480坪の土地を借り,この一角にビール醸造所を建てる。競争相手のウィーガンドと激しい販売合戦を繰り広げたのち,9年に両者は合併し独占を狙うが12年にけんか別れ。人体に有害な薬品を使用したとの内部告発で売り上げは落ち,17年醸造所は公売される。22年勝俣ウメと再婚し,グアテマラで日本特産品店を開くがこれにも失敗,35年1月病いで帰国し翌月に没。

(澤護)

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世界大百科事典 第2版の解説

コープランド【Aaron Copland】

1900‐90
アメリカの作曲家。両親はユダヤ系ロシア移民でニューヨークに生まれる。1921年,パリでN.ブーランジェに師事,作曲を学んだ。帰国後,ジャズの要素をとり入れた不協和音の多い作品を書いたが,〈あまりにもヨーロッパ的〉と自己批判し,広く民衆の共感が得られる作品を書こうと思った。36年,メキシコの通俗的な旋律による管弦楽曲《エル・サロン・メヒコ》が圧倒的な人気をよび,次いで《ビリー・ザ・キッド》(1938),《ロデオ》(1942)と《アパラチアの春》(1944)などのバレエ音楽によって国際的にも知られるようになった。

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大辞林 第三版の解説

コープランド【Aaron Copland】

1900~1990) アメリカの作曲家。アメリカ民謡やジャズの手法をクラシックに取り入れ、作風は雄大かつ簡潔。作品「エルサロンメヒコ」、バレエ曲「ビリーキッド」「アパラチアの春」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コープランド
Copeland, Morris Albert

[生]1895.8.6. ニューヨーク,ロチェスター
[没]1989.5.4. フロリダ,サラソータ
アメリカの経済学者。 1917年アマースト大学を卒業し,21年シカゴ大学で経済学博士号を取得。コーネル大学で助教授 (1925~28) を経て,教授 (28~30) 。全米経済研究所 NBER,連邦準備銀行に関与したのち,30~36年ミシガン大学教授。その後,中央統計局長,予算調査局長,全米経済研究所所長を歴任し,49年コーネル大学に復帰。 57年アメリカ経済学会会長。 66~67年ミズーリ大学,69~71年ニューヨーク州立大学オールバニ校に移る。「マネーフロー」という言葉は彼の造語で,この概念の発展・応用に貢献した。主著『アメリカにおけるマネーフローの研究』A Study of Money flows in the United States (52) は資金循環分析の先駆的業績である。経済統計的研究の一方で制度学派を自認し,その分野の著書もある。

コープランド
Copland, Aaron

[生]1900.11.14. ニューヨーク,ブルックリン
[没]1990.12.2. ニューヨーク,ノースターリタウン
アメリカの作曲家。 R.ゴルトマルクに音楽論を学び,1921年パリに留学。 N.ブーランジェ女史のもとで3年間和声と対位法の指導を受け,24年帰国。 30年『ダンス・シンフォニー』 (1925作曲) が RCAビクター賞を獲得。現代音楽の推進者として積極的に活動。作風は『ピアノ協奏曲』 (26) のようにジャズの影響を強く受け,アメリカ民謡や大胆なリズムを用いて,作品に独特の新鮮さを与えている。メキシコの印象を音楽にした『エル・サロン・メヒコ』 (36) や,三大バレエといわれる『ビリー・ザ・キッド』 (38) ,『ロデオ』 (42) ,『アパラチアの春』 (44) ,B.グッドマンの依頼で作った『クラリネット協奏曲』 (48) などが有名。著書に『音楽の聴き方』 (39) ,『現代音楽入門』 (41) などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コープランド
こーぷらんど
Aaron Copland
(1900―1990)

アメリカの作曲家。生地ニューヨークに学んだのち、1921~24年パリに渡り、ナディア・ブーランジェに師事し、認められる。帰国後ブーランジェを独奏者に迎えての『オルガン交響曲』の初演(1925)で名声をあげ、以来アメリカ音楽界の重鎮として活躍。アメリカ民謡、ポピュラー・リズムを用いた明快ではでな作風は、ミヨー、ストラビンスキーらの影響を感じさせ、50年代以降の十二音技法を用いた作品よりも、それ以前の『ビリー・ザ・キッド』(1938)、『ロデオ』(1942)、『アパラチアの春』(1944)などのモダン・バレエのための作品、管弦楽曲『エル・サロン・メヒコ』(1937)などが愛好されている。[細川周平]

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世界大百科事典内のコープランドの言及

【ファンファーレ】より

…ベートーベンの《フィデリオ》第2幕など,オペラにしばしば用いられる。現代の代表作としてはコープランドの《市民のためのファンファーレ》(1942)があり,これは1984年ロサンゼルス・オリンピック閉会式でも奏されてポピュラーになっている。【保柳 健】【鴇田 信男】。…

※「コープランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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