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ゴットワルト Gottwald, Klement

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゴットワルト
Gottwald, Klement

[生]1896.11.23. モラバ,ディエディツェ
[没]1953.3.14. プラハ
チェコスロバキアの政治家。小農の家に生れ,1912年 16歳のときに社会主義運動に身を投じた。 21年チェコスロバキア共産党結成に参加し,その後,党機関紙主筆,情宣部長を経て,29年の第5回大会で書記長に選出された。 38年のミュンヘン協定後,モスクワに亡命し,ナチス打倒と国内民族解放闘争を指導。 45年帰国し,Z.フィルリンゲル連立政府の副首相をつとめ,46年総選挙で共産党が第一党となると首相に就任。 48年2月のクーデターを指導,E.ベネシュに代って6月には大統領に就任したが,53年 I.スターリン葬儀直後に死去。 56年の N.フルシチョフによるスターリン批判以後,「小スターリン」と呼ばれていた彼の遺体はプラハの霊堂から撤去された。

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百科事典マイペディアの解説

ゴットワルト

チェコスロバキアの政治家。初め社会民主党指導者から,1921年チェコスロバキア共産党創立に参画,1929年党書記長スペイン内乱にも参加,1928年―1943年コミンテルン中央執行委員。第2次大戦中はソ連に亡命して民族解放闘争を指導,1946年首相,1948年のクーデタによる共産党の政権奪取後に大統領(1948年―1953年)となる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ゴットワルト【Klement Gottwald】

1896‐1953
チェコスロバキアの政治家。モラビア生れ。1912年から政治活動を始め,第1次世界大戦に従軍。戦後,社会民主党左派で活動するが,21年にはチェコスロバキア共産党創立に参加,のちに党書記長,コミンテルン執行委員を務める。38年のミュンヘン協定成立後,モスクワに亡命し,当地より反ナチス抵抗運動を指導。帰国後,45年に副首相,46‐48年首相,48年2月のクーデタ後大統領に就任(‐1953)した。【稲野 強】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ゴットワルト
ごっとわると
Klement Gottwald
(1896―1953)

チェコスロバキアの政治家。モラビア(現チェコ)のデディツェの小農の家に生まれ、指物師の徒弟となり、青年期に社会主義運動に加わった。第一次世界大戦後、社会民主党に加入、1921年の共産党の結成に参加し、党機関紙主筆、ついで党宣伝扇動部長を経て、1929年に党書記長に就任した。1939年にソ連に亡命、1945年に帰国しベネシュ大統領のもとで副首相として国民戦線政府に入閣、1946年に首相、1948年の二月革命以後大統領になった。1946年以後党議長に就任。スターリンの路線を忠実に実行、1953年のスターリンの葬儀に参列し、帰国直後に病死した。1962年には個人崇拝の誤りを批判された。[木戸 蓊]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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