翻訳|Sussex
イギリス、イングランド南部、イギリス海峡に臨む旧カウンティ(県)。1974年の地方行政改革により、イースト・サセックス県とウェスト・サセックス県に分割された。イースト・サセックス県は面積1713平方キロメートル、人口49万2324(2001)で、1997年にはブライトン・アンド・ホーブ地区がユニタリー・オーソリティー(一層制地方自治体)として分離している。県都ルーイスLewes。ウェスト・サセックス県は面積1988平方キロメートル、人口75万3612(2001)、県都チチェスターChichester。緩やかな起伏が続く丘陵地で、ケスタ地形が多くみられる。南岸沿いには中生代の白亜層が露出し、とくにビーチー・ヘッド(岬)に近いセブン・シスターズとよばれる七つの海食崖(がい)はみごとである。海浜保養地が多いが、内陸丘陵では牧羊、牧牛、酪農や、ホップ、リンゴなどの栽培が盛ん。セメント、ガラス、陶器、醸造などの工業も立地する。
[久保田武]
古くはケルト系ブリトン人の首長国であったが、紀元後43年ローマの支配下に入り、やがて477年には南サクソン人South Saxonsが侵入してこの地方に部族王国を建てた。サセックスという地名はこの王国に由来する。1066年、イギリス海峡を挟んで対岸のノルマンディーからウィリアム(1世)が上陸し、ハロルドとの決戦(ヘースティングズの戦い)に勝利を収めたのはこの地方である。百年戦争でもフランス軍の襲撃を受け、沿岸の町は戦火を被った。ワット・タイラーの一揆(いっき)やケードの乱で隣接県ケントとともにその一中心となったのは、経済的に先進地域であった事情が背景にある。宗教改革後は全体としてプロテスタントの信仰を受容し、後代にはクェーカー教徒を多く出した。ピューリタン革命のときにこの地が議会側の有力な支持基盤となったのも、このことと関連がある。18世紀中葉以降、早くも海岸保養地帯として発展した。
[松垣 裕]
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…5~9世紀にかけて,イングランドに渡来・定着したアングロ・サクソン人が形成した小部族王国。東南部のケント(ジュート人が建国),テムズ川下流を占めたエセックス,西部に発展したウェセックス,南部のサセックス(以上サクソン族が建国),東部のイースト・アングリア,中部のマーシア,北部のノーサンブリア(以上アングル族が建国)の7国をいう。これら諸国は先住のブリトン人と戦って征服をすすめる一方,相互の間でも覇権をめぐって抗争し,6世紀末にはエゼルベルフト(エセルバート)王(在位560‐616)治下のケントが有力になった。…
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