古代ユダヤ教内の一教派で,その起源は前2世紀にまでさかのぼる。エルサレムの貴族祭司層とユダヤの地方貴族・地主が主要な構成員であった。後70年のローマ軍によるエルサレム陥落・占領までユダヤ教最高議会(サンヘドリン)の中で多数派を占め,政治的・宗教的・社会的支配権を掌握していた。ヘレニズムの文化的影響に対しては開放的であった反面,宗教的には保守的であった。〈モーセ五書〉と呼ばれる旧約聖書の最初の五つの文書だけを正典とし,パリサイ派が承認した口頭伝承の権威を否定した。教義的にも死者の復活の信仰を拒絶し,歴史と個々人の生活の中へ神が天使や霊によって介入するという考え方も否定した点でパリサイ派とは対照的であった(《マタイによる福音書》22:23,《使徒行伝》23:6~8参照)。福音書の中でパリサイ派と並んでイエスの論敵として言及されることがあるが,パリサイ派ほどの比重はない。
→パリサイ派
執筆者:大貫 隆
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ヨセフスの『ユダヤ古代誌』や『新約聖書』から知られるように、紀元前2世紀~後1世紀に存在したユダヤ教党派の一つ。サドカイの名称は、ソロモン時代(前10世紀)の祭司サドク(『旧約聖書』「列王紀」上2章35)に由来し、サドクの子孫を意味する。つまり同党派は、主として祭司で構成され、エルサレム神殿の供犠を重視した。また聖書本文の字句に固執した。この点で、律法がつねに新しく解釈されなければ死文化するという自覚に基づき柔軟な聖書解釈を展開したパリサイ派と鋭く対立した。そしてサドカイ派の神殿祭儀重視と字句拘泥主義とは、時代の変動のなかであえぐ民衆に対する指導力を欠き、ひいては自派の消滅を招いた。
[定形日佐雄]
『アラン・ウンターマン著、石川耕一郎・市川裕訳『ユダヤ人』(1983・筑摩書房)』
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前2世紀から後1世紀に存在したユダヤ教の一派。祭司層を中心とした富裕な上層階級を代表し,モーセ律法のみを重視,口伝律法や死人の復活を否定した。政治的にはローマ支配と妥協,パリサイ派と対立したが,共同してイエスと弟子たちを迫害した。
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