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サドカイ派 サドカイはSaddoukaioi; Sadducees

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サドカイ派
サドカイは
Saddoukaioi; Sadducees

ダビデ王擁立にくみし,エルサレム神殿の祭司となったザドクに由来するとされるユダヤ教の一党派で,前2世紀中頃 (ハスモン時代) から1世紀のエルサレム滅亡まで存続。神殿を中心に祭司,商人,貴族などの裕福な階級の人々で構成されていて,きわめて強い保守的傾向をもち,時の権力と妥協し,あるいは対立しつつ,その特権の維持をはかった。特にモーセ五書の解釈やさまざまな祭儀上の慣習をめぐって,パリサイ派と鋭く対立し,思想上は肉体の復活,霊魂の不滅,天使あるいは聖霊の存在などの教理をことごとく否定した (マタイ福音書 22・23,マルコ福音書 12・18ほか) 。

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百科事典マイペディアの解説

サドカイ派【サドカイは】

古代ユダヤ教の一派。英語でSudducees。富裕な貴族祭司階級が属し,ローマ帝国と協調的であった。宗教的には〈モーセ五書〉(旧約聖書の最初の5文書)のみに権威を認め,死者の復活や神の人事への介入を否定する点でパリサイ派とは対照的。

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世界大百科事典 第2版の解説

サドカイは【サドカイ派 Sudducees】

古代ユダヤ教内の一教派で,その起源は前2世紀にまでさかのぼる。エルサレムの貴族祭司層とユダヤの地方貴族・地主が主要な構成員であった。後70年のローマ軍によるエルサレム陥落・占領までユダヤ教最高議会(サンヘドリン)の中で多数派を占め,政治的・宗教的・社会的支配権を掌握していた。ヘレニズムの文化的影響に対しては開放的であった反面,宗教的には保守的であった。〈モーセ五書〉と呼ばれる旧約聖書の最初の五つの文書だけを正典とし,パリサイ派が承認した口頭伝承の権威を否定した。

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大辞林 第三版の解説

サドカイは【サドカイ派】

紀元前二世紀から紀元後一世紀頃のユダヤ教の一派。保守的特権階層を代表し、神殿祭儀をつかさどった。予定説、メシア待望、死人の復活、天使や霊の存在などを否定、パリサイ派と対立、政治的には親ローマ。名称は大祭司ザドクにちなむ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サドカイ派
さどかいは
Saddukaosギリシア語

ヨセフスの『ユダヤ古代誌』や『新約聖書』から知られるように、紀元前2世紀~後1世紀に存在したユダヤ教党派の一つ。サドカイの名称は、ソロモン時代(前10世紀)の祭司サドク(『旧約聖書』「列王紀」上2章35)に由来し、サドクの子孫を意味する。つまり同党派は、主として祭司で構成され、エルサレム神殿の供犠を重視した。また聖書本文の字句に固執した。この点で、律法がつねに新しく解釈されなければ死文化するという自覚に基づき柔軟な聖書解釈を展開したパリサイ派と鋭く対立した。そしてサドカイ派の神殿祭儀重視と字句拘泥主義とは、時代の変動のなかであえぐ民衆に対する指導力を欠き、ひいては自派の消滅を招いた。[定形日佐雄]
『アラン・ウンターマン著、石川耕一郎・市川裕訳『ユダヤ人』(1983・筑摩書房)』

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