イタリアの建築家,築城技師。彫刻家,建築家の家系サンガロ一族の中心的人物として分業化の進んだ組織的工房を経営し,1520-40年代のローマの建築界を支配した。建築家G.daサンガロ,アントニオ・ダ・サンガロ・イル・ベッキョはいずれも母方の伯父。1503年,故郷フィレンツェからローマへ出てブラマンテの工房に入り,サン・ピエトロ大聖堂再建工事に仮枠づくりの大工として参加。ブラマンテ,ラファエロのもとで同大聖堂工事の現場監督を務め,ラファエロ没後その主任建築家となり,工事を進めるかたわら集中式とバシリカ式を折衷した改修案を提案したが実現をみなかった。パルマの名家ファルネーゼ家の建築家としても活躍し,特に住宅(パラッツォ)建築において施工のしやすさと見ばえを両立させ,設計から施工に至る各作業を合理化して量産をめざしたその工房組織はルネサンスの建築生産に新しい革命をもたらした。ローマの南東約100kmに新都市カストロCastroを建設し(1649滅亡),中部イタリア各地に城砦を建て,オルビエトにらせん斜路付きの大井戸を掘削するなど,活動は広範かつ多彩であった。代表作は,パラッツォ・ファルネーゼ,教皇庁造幣局,サンタ・マリア・ディ・ロレート教会(いずれもローマ),およびフィレンツェの城砦フォルテッツァ・ダ・バッソ。
執筆者:日高 健一郎
ルネサンス前・中期に3世代約1世紀にわたって彫刻家,建築家を輩出したフィレンツェのジャンベルティGiamberti家およびその縁戚コルディアーニCordiani家は,市門ポルタ・サンガロ付近に住んだため,〈ダ・サンガロ〉の別姓で知られた。ジュリアーノはメディチ家支配下のフィレンツェを中心に活躍した建築家。父フランチェスコ・ジャンベルティから木彫を学び,1465年ころローマに出て建築家となる。古代の遺構を研究し,二つの素描集を残したが,その古典様式のとらえ方は原理,構築法よりは意匠,視覚性を重視していた。洗練された絵画的作風のゆえに,力強く大胆な造形を求めたローマ教皇庁からは優遇されず,ブラマンテとラファエロに活躍の場を譲った。代表作はビラ・メディチ,サンタ・マリア・デレ・カルチェリ教会。ナポリ王フェルディナンド1世の王宮案,メディチ家の大ロレンツォの宮殿案はいずれも実現をみなかったが,従来のルネサンス建築にみられない大規模な宮殿建築の先駆として注目される。フィレンツェのサン・ロレンツォ教会のファサード計画案は,ミケランジェロの初期の建築造形に少なからぬ影響を与えた。
執筆者:日高 健一郎
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