サントドミンゴ(読み)さんとどみんご(英語表記)Santo Domingo

翻訳|Santo Domingo

デジタル大辞泉 「サントドミンゴ」の意味・読み・例文・類語

サント‐ドミンゴ(Santo Domingo)

ドミニカ共和国の首都。同国南部に位置し、カリブ海に面する。1496年、西半球でヨーロッパ人が最初に建設した町として知られる。旧市街にはスペイン植民地時代に築かれたアルカサルデコロンサントドミンゴ大聖堂・国立パンテオン、およびコロンブスの墓があり、1990年に「サントドミンゴ植民都市」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。人口、都市圏91万(2002)。

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精選版 日本国語大辞典 「サントドミンゴ」の意味・読み・例文・類語

サント‐ドミンゴ

  1. ( Santo Domingo ) 中央アメリカ、ドミニカ共和国の首都。イスパニオラ島の南岸にあり、一四九六年、コロンブスの弟バルトロメが建設した。コロンブスの墓や一五三八年創立の大学がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サントドミンゴ」の意味・わかりやすい解説

サント・ドミンゴ
さんとどみんご
Santo Domingo

西インド諸島、ドミニカ共和国の首都。同国中南部、イスパニョーラ島南岸、オサマ川河口に位置する。人口160万9966(1993センサス)、206万1300(2002推計)。都市圏人口219万3046(1993センサス)、市域103万6494(2019推計)。1496年、コロンブスの弟バルトロメBartholomew Columbusによって建設された都市で、教会や行政機関が中央広場ソカロを取り囲み、街路は碁盤目状に配され、アメリカ大陸の植民都市の原型をなした。16世紀初期には、ベラスケスDiego Velázquez de Cuéllar(1465―1524)、コルテス、バルボアらによるカリブ海やアメリカ大陸への探検、征服の基地として重要な役割を担った。コロンブスを埋葬するサンタ・マリア・ラ・メノール寺院や、コロンブスの子ディエゴ・コロンDiego Colón y Moniz Perestrello(1474,1479/1480―1526)の居城(現在はコロン博物館)などの史跡が当時のおもかげを伝える。1936年から1961年までは、当時の大統領トルヒーヨの名をとってシウダー・トルヒーヨとよんだが、彼の死後、歴史的に由緒あるサント・ドミンゴに戻った。ハリケーンの常襲地にあり、1930年には壊滅的打撃を受けたが、トルヒーヨにより近代的町並みに再建された。1937年に近代化された港は同国有数の輸出入港で、砂糖、糖蜜(とうみつ)、カカオ、皮革木材などが積み出される。工業は醸造業、食品加工業が中心であるが、近年は郊外にフリー・ゾーン(非課税地域)が設定され、輸入原材料加工による輸出製品の開発が進んでいる。1538年創設のサント・ドミンゴ大学はこの国の教育、文化の中心。カリブ海地域の海・空の交通の要衝の地にあり、観光業の発達も顕著である。

[栗原尚子]

世界遺産の登録

アメリカ大陸で最初に建設された植民都市の歴史的価値が、1990年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「サント・ドミンゴ植民都市」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サントドミンゴ」の意味・わかりやすい解説

サントドミンゴ
Santo Domingo

西インド諸島中部,ドミニカ共和国の首都。ドミニカ共和国南部,カリブ海に臨む港湾都市。 1496年クリストファー・コロンブスの弟バルトロメにより,新世界における最初のスペイン植民地の首都としてオサマ川東岸に建設されヌエバイサベラと呼ばれたが,ハリケーンで破壊され,1502年オサマ川西岸の現在地に現在名で再建された。当初新世界のスペイン領の行政中心地として発展したが,16世紀後半以降スペイン人の関心が新たに征服したメキシコ,ペルーに移ると,しだいに衰退。 1795~1809年フランス領となったあと一時スペイン領に復したが,まもなくハイチの支配下に入り,1844年ドミニカ共和国独立に伴ってその首都となった。 1936~61年の R.L.トルヒーヨ・モリナ独裁時代にはシウダードトルヒーヨ Ciudad Trujilloと改称された。ドミニカ共和国の政治,経済の中心地で,主要工業である金属,冷蔵庫,石油化学プラスチックセメント,家具,繊維,製靴,食品などの工業が集まる。また教育・文化の中心地として,南・北アメリカ最古のサントドミンゴ大学 (1538) をはじめとする各種の教育・研究機関,国立博物館,国立図書館などがある。オサマ川に近い旧市街にはコロンブスの遺骨を納めた大聖堂,ディエゴコロンの居城など植民地時代に建設された数多くの建物が保存されており,1990年世界遺産の文化遺産に登録された。西に向かって新市街が広がっている。行政的には特別区を構成。交通の中心で,道路が3方向に延び,港はドミニカ共和国第1の港として旅客の往来,貨物の積み出しでにぎわう。東郊に国際空港がある。人口 216万9300(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「サントドミンゴ」の意味・わかりやすい解説

サント・ドミンゴ
Santo Domingo

カリブ海のドミニカ共和国の首都。首都圏人口182万(2004)。イスパニオラ島の西半分はもとサント・ドミンゴ島と呼ばれ,新世界ではもっとも古い植民地として確立されたが,同市の名称はそれに由来している。市は,1496年同島南部のオサマ川の河口にコロンブスの弟バルトロメー・コロンブスにより建設され,そこを基地にしてカリブ海域の島々やラテン・アメリカ大陸へ遠征隊が派遣された。したがって,新世界では最初に設立(1538)されたサント・トマス・デ・アキノ大学(現,サント・ドミンゴ大学)や行政官庁,聖堂がある場所としても知られている。19世紀初頭ハイチの独立革命の際,一時スペインの統治下から離脱したことがある。1931年独裁者トルヒーヨが権力の座につくと,サント・ドミンゴ市からトルヒーヨ市に改称されたが,61年の彼の暗殺後,元の名に復帰した。
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百科事典マイペディア 「サントドミンゴ」の意味・わかりやすい解説

サント・ドミンゴ

ドミニカ共和国の首都。イスパニオラ島南部,カリブ海に臨む港湾都市。砂糖,カカオなどの輸出港。1496年コロンブスの弟バルトロメオが創設。スペインの新大陸征服,入植の基地となった。1514年建築の聖堂,アメリカ最古のサント・ドミンゴ大学(1538年創立)がある。旧市街には16世紀初めの建造物が数多く残り,ユネスコの世界遺産に指定されている。1930年ハリケーンの襲来で破壊されたが,のち再建。トルヒーヨ大統領独裁時代(1936年―1961年)にはシウダード・トルヒーヨと呼ばれた。258万2000人(2010)。
→関連項目サン・クリストバル(ドミニカ共和国)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サントドミンゴ」の解説

サントドミンゴ
Santo Domingo

エスパニョラ島南岸に,1496年スペイン人が建設した港市。植民地時代を通じ,本国と中南米各地との連絡地点として機能を果たした。

②大アンティル諸島のなかでキューバに次ぐ大きさの島。現在エスパニョラ島と呼ばれる。コロンブスが第1回航海でこの島に根拠地を築いた。元来の住民アラワク人は絶滅し,その空白を黒人奴隷がうめた。島の西部は17世紀からフランス人の侵入が激しく,サンドマングと呼ばれたが,1697年スペインからフランスに割譲され,1804年ハイチ共和国として独立した。東部の3分の2は,1844年ドミニカ共和国として独立した。

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世界大百科事典(旧版)内のサントドミンゴの言及

【イスパニオラ[島]】より

…西インド諸島中部,大アンティル諸島の島。ヒスパニオラ島,ハイチ島,サント・ドミンゴ島などとも呼ばれる。キューバ(西)とプエルト・リコ(東)の間に位置し,西インド諸島中キューバに次ぐ第2の島。…

【サント・ドミンゴ】より

…首都圏人口213万8262(1993)。イスパニオラ島の西半分はもとサント・ドミンゴ島と呼ばれ,新世界ではもっとも古い植民地として確立されたが,同市の名称はそれに由来している。市は,1496年同島南部のオサマ川の河口にコロンブスの弟バルトロメー・コロンブスにより建設され,そこを基地にしてカリブ海域の島々やラテン・アメリカ大陸へ遠征隊が派遣された。…

【ドミニカ共和国】より

…正式名称=ドミニカ共和国República Dominicana面積=4万8671km2人口(1996)=750万人首都=サント・ドミンゴSanto Domingo(日本との時差=-14時間)主要言語=スペイン語通貨=ペソPesoカリブ海に浮かぶアンティル諸島の中央にあるイスパニオラ島の東部3分の2を占める共和国で,西はハイチと隣接している。1821年にスペインから独立してまもなく,ハイチ人の侵入を受けたが,44年ハイチ人を追放してドミニカ共和国を建設した。…

【副王制】より

… 16,17世紀には二つの副王領しか存在しなかった。1535年に創設されたメキシコ市を主都とするヌエバ・エスパニャ副王領は現在の北アメリカの南部とメキシコ,それにパナマを除く中央アメリカ全域とアンティル諸島およびベネズエラの沿岸地方を含み,その領土内にはサント・ドミンゴ,メキシコ市,グアダラハラとグアテマラのアウディエンシアがあった。いまひとつは1543年に設置されたペルー副王領で,パナマのほか,ベネズエラ沿岸地方を除く南アメリカ全域を包摂し,リマを主都とした。…

※「サントドミンゴ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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