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ザモイスキ Zamoyscy, Jan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ザモイスキ
Zamoyscy, Jan

[生]1542
[没]1605
ポーランドの貴族。フランス,イタリアで人文主義教育を受け,1565年ジグムント2世アウグスト枢密顧問官となった。その死後ハプスブルク家の候補者に反対し,ステファン・バトールイ登位を実現,その下で宰相 (1578~86) ,総帥 (81~86) をつとめた。対ロシア戦争 (80~81) ,対ハプスブルク戦争 (88) で戦果をあげた。ジグムント3世ワーザの登位にも貢献したが,その親ハプスブルク政策に反対して対立。対スウェーデン戦争 (1600) ,対トルコ戦争 (02) を指揮して勝利に導いた。また学芸を保護し,ザモシチをルネサンス文化の最東方の中心地とした。

ザモイスキ
Zamoyscy, Andrzej

[生]1716
[没]1792
ポーランドの貴族。スタニスワフ2世アウグスト・ポニャトフスキの初代宰相 (1764~67) として,1764年議会にセイム制度の改革,貴族特権の制限,農奴制の廃止などの改革法案を提出。 65年みずからの領地で農奴解放を実施。 76年急進的な裁判法『裁判法令集』を編纂。また国民教育委員会の指導的メンバーとして活躍した。

ザモイスキ
Zamoyscy, Andrzej

[生]1800
[没]1874
ポーランドの貴族。十一月蜂起 (1830~31) の際,蜂起政府のウィーン代表をつとめる。帰国後,有機的労働を提唱し,農奴解放に尽力,農業協会会長 (58~62) をつとめた。一月蜂起 (63~64) には白党として参加。蜂起失敗後,フランスに亡命

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世界大百科事典 第2版の解説

ザモイスキ【Jan Zamoyski】

1542‐1605
16世紀後半から17世紀前半にかけてリトアニアウクライナなどポーランドの東部辺境に獲得した広大な領地を基盤に台頭してきた新興マグナートの一人。父親から相続した四つの農村を200以上に増やし,さらに11の都市を新たに領有した。13歳のとき,のちのフランス国王フランソア2世の相手役としてパリの宮廷に派遣され,4年間の滞在中のちのコレージュ・ド・フランスやソルボンヌ神学校で学んだことが知られている(詳細は不明)。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

367日誕生日大事典の解説

ザモイスキ

生年月日:1541年4月1日
ポーランドの政治家
1605年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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