シェア・クロッピング制度(読み)しぇあくろっぴんぐせいど(英語表記)Share Cropping System

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シェア・クロッピング制度
しぇあくろっぴんぐせいど
Share Cropping System

南北戦争(1861~65)以後、1950年代までアメリカ合衆国南部で広く普及した小作制度。抑圧的、人種差別主義的諸制度をもつ南部社会を基底から支えていた。
 南北戦争後、生産再開を目ざす大土地所有者は、元奴隷を賃金制度導入などによって働かせようとしたが、多くの元奴隷は、自分たちにそれぞれ「40エーカーの土地と1頭のラバ」が与えられることを期待し、元奴隷主たちのプランテーションで働くことを拒否した。これに対抗して、少なくとももっとも労働力を必要とする収穫期が終わるまで、土地も金もない元奴隷を労働力として確保するために採用されたのがこの制度である。この制度の下で、小作農は土地その他の生産手段を貸し付けられ、地主の監督下で労働し、1年間の労働の成果を地主との間で分配した。これを支える信用制度は、収穫以前の単作商品作物(綿花など)を担保とするクロップ・リエンCrop-lien制で、地主はより多くの信用を地方商人から得るため小作農にワタを最大限植え付けるよう強制、食糧生産を規制したため、小作農は地主の生活必需品前貸しに全面的に依存せざるをえず、高い価格と利子を支払わされた。小作契約の多くは口頭契約で、地主はしばしば小作農の無知と無力を利用したため、多くの小作農は慢性的負債状態に陥り、次年度の小作契約をふたたび結ばざるをえないことになった。それは、単作商品作物の価格不安定性からくる危険を小作農に負担させるための制度でもあった。
 この制度の下では、奴隷制時代のように、黒人が1か所に集められ、日常的な厳しい監督の下で労働するのとは違って、小作農は、それぞれ割り当てられた土地に家族ごとに分散して住むようになり、監督の密度は多少弱まったし、彼らが別の農場に移ることも比較的容易になった。これらの点で大きな進歩であるが、地主は小作農の「負債」を理由にほとんどいつでも労働を強制することができたため、これを「債務奴隷制」とよぶ人もいる。
 19世紀末の農業恐慌を通じて、大量の白人自作農が没落しこの小作制度の下に取り込まれた結果、この制度は多様な形態に発展したが、その基礎はあくまでもプランテーション内の黒人シェア・クロッピング制度である。この制度は、1930年代のニューディールの農業近代化政策と50年代の朝鮮戦争以後の綿摘機大量導入とにより、60年代初頭にはほぼ姿を消し、大都市への南部農村黒人の大量移住の直接的原因となった。[上杉 忍]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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