イタリアにおけるもっとも豪奢(ごうしゃ)なゴシック式聖堂で、中部イタリアのシエナ市にある。12世紀中期に起工され、造営期間は13、14両世紀にわたる。1215年に主要部分の建設がほとんど終了し、64年にクーポラ(円蓋(えんがい))が完成、84~95年にジョバンニ・ピサーノによってファサード(正面)下部の装飾が完了し、1313年にカンパニーレ(鐘塔)が建立され、完成を目前にしながら工事は停滞していた。ところが1339年に至り、おりから造営が進行中のフィレンツェの大聖堂と覇を競うべく、これまで構築された建物を翼廊に転用する巨大な新大聖堂の計画が提案される。そしてただちに新計画による工事が開始されたが、シエナ市の財政上の逼迫(ひっぱく)や1348年のペストの流行で、工事は中断を余儀なくされた。新たに建設された部分を取り壊し、在来どおりの計画に戻って、1376年にジョバンニ・ディ・チェッコが正面上部の装飾に着手し、82年にはアプスが完成した。度重なる設計変更のため、外観構成とプランに秩序とシンメトリーを欠くうらみはあるが、美観は損なわれていない。壁面は白と黒の大理石による横縞(よこじま)模様で装われ、この中世都市にふさわしい瀟洒(しょうしゃ)なたたずまいをみせている。床面に施された旧約物語を題材にした多色大理石のはめ込み細工は、豪奢で精巧な技法を示しており、ニコラ・ピサーノ一門による説教壇、ドナテッロの手になる『洗礼者聖ヨハネ像』はともに彫刻史上の逸品である。アプスに隣接する洗礼堂には、ギベルティ、ドナテッロ、ヤコポ・デッラ・クエルチアの浮彫りで装われた洗礼盤が設置されている。
[濱谷勝也]
イタリアのシエナにあるゴシック様式の大聖堂。正称はサンタ・マリアSanta Maria。12世紀末に起工し,14世紀末にかけて建設。全体として3廊式ラテン十字形平面を示すが,交差部がやや不整形の六角形平面をなし,各柱上方のトロンプで荷重を受けて交差部のドームと採光塔を頂くのが特異である。内部の柱・壁は色大理石で水平の縞模様をなし,床も多色大理石のモザイクで覆われる。ジョバンニ・ピサーノ設計の西正面(下半分のみ原案どおり)は,飾り破風や小尖塔を伴ったばら窓と3扉口によりフランス式構成を示すが,彫刻やモザイク画の豊かな装飾は全体としてなおイタリア的な平板性にとどまっている。南袖廊と側廊に接して正方形平面の鐘塔が立ち,やはり色大理石の縞模様が外壁面を飾る。堂外南部分には,実現を見ずに終わったが,現身廊を袖廊とする新大聖堂への改築を試みた14世紀の工事の一部が残る。堂内には,ニコラ・ピサーノの彫刻を持つ説教壇等がある。
執筆者:藤本 康雄
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…西ヨーロッパ中世後半におこなわれた美術。ロマネスク美術につぎ,その発展の結果として生まれ,12世紀中期から準備期に入り,13世紀にフランス,イギリスにおいて明確な様式として成立し,さらに西ヨーロッパ全土に波及し,つづく2世紀間に発展・変化して,15世紀初めからイタリアで形成されるルネサンス美術が代表する近世美術にとって代わられるまで存続した。ゴシックGothicの名称は,バザーリらルネサンスのイタリア人が中世建築を粗野な蛮族ゴート人Gothのもたらしたものとして非難したことに由来するが,19世紀以来,西ヨーロッパ中世美術の一様式をさす美術史上の用語として適用されるにいたった。…
…切石を何種類もの石を用いて構成し,その目地のパターンを複雑にすると,この方法はモザイクに近づいていく。中世の教会堂の床面の美しい例としては,イタリアのシエナ大聖堂の作例(12世紀)が有名である。屋外の広場ではあるが,ミケランジェロ設計ローマのカンピドリオの広場の切石によるパターンも,西洋の床のデザインの伝統を示す作例として興味深い。…
※「シエナ大聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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