改訂新版 世界大百科事典 「シチリア派」の意味・わかりやすい解説
シチリア派 (シチリアは)
Scuola Siciliana
13世紀前半,シチリア王兼神聖ローマ皇帝フェデリコ(フリードリヒ)2世のシチリアの宮廷を拠点に形成されたイタリアの詩派。ダンテはその《俗語論》の中で彼らの功績を称揚しているが,文学詩語としてのイタリア語の基礎を築いた流派として重要である。同派の用いた言語は厳密にいえばシチリア語であるが,土着の方言そのものではなく,プロバンス語やラテン語からの摂取を行いつつ洗練度を高めた文学共通語としてのシチリア語であった。文化の一大中心地たるフェデリコ帝の宮廷には高度に集権化された支配機構が確立され,同派で活躍した詩人には官僚・法律家などを兼ねた人物が多い。この流派の詩作のモデルとなったのは12世紀南フランスに花開いたトルバドゥールの抒情詩であるが,南仏語の詩が旋律にのせて歌われるものであったのに対し,同派の作品は音楽との結び付きを前提としていなかった点が異なる。作品の主題は主として〈宮廷風恋愛〉であり,高貴な婦人への思いが歌われたが,愛の性質・様態をめぐる観念的・自然科学的詮索が好んで行われた。詩型としてはカンツォーネが多く,またそれと並んでソネットが用いられ始めたのが注目される。同派の作品は知的技法に基づき,主題的・文体的にきわめて様式化されている点が特徴である。シチリア派の頭目ともいうべき詩人は〈公証人〉ヤコポ・ダ・レンティーニで,ソネット形式の創案者であるとされる。その他,グイード・デレ・コロンネ,トマス・アクイナスの兄弟ともいわれるリナルド・ダクイーノ,ラテン語散文家としても名高いピエル・デラ・ビーニャ,民衆詩風のテーマを扱ったジャコミーノ・プリエーゼらがおり,フェデリコ帝自身もその子エンツォ王(1272没)とともに詩作を残している。シチリア派の詩は都市国家(コムーネ)が発展を遂げつつあったトスカナ地方に伝えられ,後の清新体にも大きな影響を与えた。
執筆者:長神 悟
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報